てやんでぇ 第36回 処士横議の禁

作 文聞亭笑一

蔦重一派の危険な挑発が続きます。

黄表紙・・・現代風に云えば「劇画」でしょうか。

大人向けの絵本です。最初の内は「アハハ・・・」と笑いながら田沼批判の書と、物語の表面ばかりを見ていた読者も、よくよく読んでみると・・・裏に隠された作者の意図が見えてきます。

「もしかして・・・田沼批判にこと寄せた改革批判ではないか?」

・・・と、勘ぐりたくなります。

そういう目で読み返してみると・・・筋書きと云い、場面展開と云い・・・そう見えてきます。

幕閣の内部から「怪しい」の声が上がり始めたところへ、恋川春町の「鸚鵡返し文武二道」が出て、批判色が強まります。

怪しい!蔦屋の発行する書物全体への疑いが濃紅になりました。

寛政の改革

大河ドラマは主役の蔦重の立場で物語を展開しますから「失敗した改革」という立場で展開を描きます。

一方で、明治以降の通説は松平定信を「腐敗政治を正した聖人、社会福祉の先覚者」として高く評価します。

とりわけ日本の資本主義の草分けとも言われる渋沢栄一が、定信の行った「七分積金」という制度を高く評価します。

この財源を使って渋沢が始めたのが赤十字をはじめとした社会福祉活動でした。

 また、長谷川平蔵の提案で始めた「人足寄場」は現代の職業安定所、職業訓練の先駆けです。

江戸市中の流れ者、無宿人を、改革の当初は強制送還で国許に送り返す「帰農政策」を採っていましたが、平蔵の提案は

- 帰ったところで土地は荒れている、地域住民は夜逃げした者の帰村を受け入れない

- あげくは又、江戸へと流れてくる  モグラ叩きのようなもの

- 刑期を終えたが就職先のない者に職を与えて更正させたい さもないと、再犯する

そのためには「江戸から追い出す」のではなく、

- 江戸市中で手に職を付けさせ、職人(工業の担い手)として雇い主を紹介する

- 木挽き、大工、左官、屋根屋など、火事の多い江戸では手が足りない

- さらに紙漉きや裁縫、料理人など、海産物の加工職人などの需要もある。

この提案が採用されて、平蔵は初代の奉行を務めます。

長谷川平蔵と云えば・・・池波正太郎の小説で「火盗改め」という強面の印象が強くなりますが、刑期を終えた犯罪者に職を与えることで再犯防止を図る・・・という近代的刑務所機能の前身を構想し、それを自らの手で実現してしまいました。

素晴らしい政治家ですね。

時代劇、チャンバラのヒーロ-だけではありませんでした。

今年の大河でも、早い時期から吉原に出入りして町人達と接しています。

それが現場体験から現場感覚にもなり、犯罪捜査でも「現場、現物、現象」の三現主義の原点になったのでしょう。

七分積金

谷沢栄一が絶賛した「七分積金」の制度・・・筆者は全く知りませんでした。

「飢饉に備えるために備蓄米を用意せよ」という命令が大名、代官に流れたことは紹介しましたが、それはあくまでも農民対策です。

地方自治の政策です。

江戸市中の貧困対策、飢饉の対策として出されたのが七分積金の制度でした。

町内の自治は町民代表が行っていました。

これが町役人です。

農村における名主、庄屋と同じような位置づけで半官半民・・・税の取り立てを行い、町内の冠婚葬祭を取り仕切り、奉行所配下の岡っ引きと協力して町内の治安維持に務めます。

火消しの親分を配下として防火、消火対策を行います。

また、民事事件に関しての訴訟も裁定します。

これだけの機能を行いますので、その必要経費として税収の内から何某かを手許に残して税を納めていました。

何に使うかは町役人の裁量です。

この費用を「一律削減」とやったのが寛政の改革でした。

江戸市中で年間3,7万両の削減になったと云います。

「このうちの7割」「削減額の7割を積み立てろ」というのが7分積金で、その多くは米の備蓄に当てられました。

その甲斐あってか、幕末まで江戸市中で打ち壊しは発生せず、飢饉による人命の被害はなかったと言います。

米の備蓄=民間の公共財源が膨らんでいき・・・結果的に渋沢が始めた近代福祉事業の基金となりました。

このことを渋沢栄一は「日本の近代化が早く達成できた要因」と高く評価しています。

学問吟味

蔦重達が文武ブンブとからかう文武の「文」ですが、論語読みの論語知らずを増やしただけ・・・という批判もさる事ながら「学問吟味」という新しい試みがなされています

学問吟味とは・・・学力試験 ひいては公務員試験のような運用がなされていきます。

役職の世襲制が、田沼時代の賄賂で自由化され、そして今度は学力、武術力の実力主義に代わります。

家柄やご先祖様の功績で役職=役料(扶持米=給与)を得ていた体制(世襲制)から、能力主義に代わります。

これを始めたのは足軽出身の田沼意次でしたが、定着させたのは将軍の孫・松平定信でした。

この辺りから幕府の役人の中身が入れ替わっていきます。

幕末に勝海舟や小栗上野介、渋沢栄一などが活躍できる基盤が出来上がっていきます。

但し、学問吟味がそのまま昇進には直結しません。その点で中国の科挙とはちがいます。

処士横議の禁

 いよいよ言論統制が始まります。

引き金を引いたのは蔦重一派の黄表紙、洒落本。

処士横議の禁とは・・・「在野の論者=処士」が「政治批判=横議」をすることを禁止する・・・

ということで言論統制です。

さらに風紀粛正の意味も加わって

贅沢品取り締まり

男女混浴の禁止

出版物の検閲、統制

などが加わります。

引き金を引いたのは蔦重一派の黄表紙や洒落本

その結果

朋誠堂喜三二には、佐竹藩主からお叱り・・・筆を折る(作家活動停止)事になります。

恋川菊町には幕府から尋問のの呼び出し・・・藩に迷惑をかけまいと自決

山東京伝、そして蔦重・・・テレビを見てのお楽しみ