てやんでぇ 第16回 田沼の政治
作 文聞亭笑一
前回は源内先生の最後・・・ばかりで終ってしまいました。
町奉行所の獄中で、囚人である源内が老中・田沼意次に会うなどと言うことはあり得ませんが、それがドラマの面白味ですね。
田沼意次が平賀源内を公儀隠密のように使っていたのは事実のようで、本音を言えば田沼家の家臣に召し抱えしたかったのでしょうが、源内は高松・松平藩から「奉公構え」の処分を受けた人間です。
奉公構
「奉公構え」とは懲戒免職の一種です。が、それよりも重い処分です。
この処分を受けた人物の最初が後藤又兵衛・・・黒田藩を飛び出して、細川藩に転籍しようとしますが、藩主黒田長政が行った処分が「奉公構え」でした。
又兵衛を雇う者は黒田の敵である。
直ちに攻撃する・・・という回状を回します。
結局、又兵衛は就職先がなく、幕府と敵対する豊臣秀頼に殉ずるしかありませんでした。
武士が自分の組織、大名家をクビになると・・・浪人ですが、浪人は就職先が見つかれば藩を移籍できます。
旗本として幕府に就職し、国家公務員になることも出来ます。
源内のような博学多才の士であれば引く手あまたでしたが・・・高松藩の藩政批判して飛び出しましたから、藩の処分は重くなりました。
奉公構え・・・「その者を雇ったら高松藩への宣戦布告と見做す」・・・という、雇用禁止宣告です。
江戸時代の熟爛期に「戦争」はありませんが、他藩が「奉公構え」した者を敢えて雇うと云うことは・・・重大なマナー違反になります。
ですから・・・飛ぶ鳥を落とす勢いの田沼、相良藩としても採用は出来なかったと云うことです。
田沼の相良藩・・・あれよあれよという間に、60石の和歌山藩の足軽から、600石の幕府旗本になり、2000石の側御用人になり、さらに郡上藩騒動の手柄で1万石の大名になり、老中にまで昇進して5,7万石の中堅大名にまで昇進してしまいました。
家柄重視の、固定した世襲社会にあって異例中の異例です。
60石なら2,3人の使用人ですが、6万石近い大名家では家臣の家族を含めて5000人近い従業員を抱えます。
急成長する田沼家が、優秀な人材を求めたのは当然で、源内などは家老職レベルで欲しかった人材でしょうね。
7歳までは神のうち
先々週は将軍継嗣・家基が18才で亡くなり、先週は平賀源内が52才で亡くなりました。
「人生50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなりけり」というのが、この時代の平均寿命のように思っていますが、実際はもう少し長生きをしていたようです。
平均寿命というのは「ある期間に亡くなった人の年齢を平均したもの」ですから、例えば・・・ある村で百歳の老人と0歳の赤ん坊が亡くなると・・・その村の平均寿命は50歳になります。
ともかく、江戸時代は乳幼児の死亡率が高く「7歳までは神のうち」などと云われていました。
3歳まで生きれば・・・生き残る可能性が出た。
5歳でその期待が膨らむ。
7歳まで生き延びて、ようやく人となる。
成人する期待が持てる。
それまではいつ、神に召されるかわからないのだ。
これが・・・七五三行事のお祝いの起源でした。
日本人の平均寿命が飛躍的に伸びたのが大正10年です。
この年、日本の主要都市に浄水施設を備えた上水道が完備されました。
乳幼児の死亡率が激減しました。それによって・・・平均寿命が10歳近く延びています。
また、戦後にペニシリンをはじめとする抗生物質が登場し、さらに平均寿命を延ばしています。
田沼政権の経済政策
濁りの田沼・・・などと、次に政権を取った松平定信から批判されますが、田沼意次は金権政治家として私腹を肥やした男だったでしょうか。
確かに・・・和歌山藩・足軽の家が石高で千倍にまで急成長しますから、世間のヒガミ、ヤッカミは相当なものでしょう。
田沼意次が将軍代理として実行した政策を並べてみます。
吉宗時代からの「倹約」政策は続けた上で
1,年貢の増税・・・藩によって差が出たものの5公5民の徹底。
幕府の天領では旗本領が多く、管理が緩い地方が多かった幕府の増税方針に悪のりして6公4民などとした藩もある。
・・・一揆へ
2,新田開発・・・田沼政権末期には印旛沼の埋め立ての大事業に着手
3,鉱山開発・・・本州、佐渡の鉱山は掘り尽くした。
新技術に依る再精錬を含む
4,幕府専売品の増加・・・朝鮮人参、石灰、鉄、真鍮など
5,朝鮮人参の国産化
6,白砂糖の国産化
7,公金の貸し付けによる金融業(銀行業)・・・座頭金もその一部
8,輸出促進・・・中国向け海産物の輸出 「俵物」・・・干しなまこ、干しアワビ、フカヒレ
9、蝦夷地開発・・・鉱山開発、ロシアとの交易、アイヌによる米作
と、各種の政策を打ち、それぞれに成果を上げつつありましたが、田沼政権を代表する経済政策である商業資本から運上金、冥加金の徴収・・・つまり権利金の徴収で幕府財政を潤しました。
幕府の財政は潤った反面で、運上金、冥加金と引き替えに「権利」のやりとりが増えます。
本屋の株仲間に蔦重が入れません。それは・・・江戸の本屋株が賄賂と引き替えに「販売権、専売権」を持っていたからでしょう。
蔦重の所属する吉原も・・・運上金を支払う代わりに「営業権」を確保していました。
ある意味で先祖帰りです。平安期から商工業は「座」という組合組織が単位となり、政権や寺社に掛け合って専売権を得ていました。
市場も公設や、伝統的市場で行われます。
新規参入には障壁が高く、専売権の範囲は自然に強化されていきます。
こういう流通ではいけない・・・と、革命児・信長が行った経済政策が「楽市楽座・自由マーケット」政策です。
現在はネット市場が「楽市楽座」のマーケットですが、あれこれ規制の多いのが食料品ですね。
農産物にはJA農協さんの利権がついて回ります。
備蓄米が出回りませんが、落札したのはJAが殆どです。
政府も、消費者も米価の低下に期待しますが、JAや農家は今の高価格水準を維持したいでしょうね。
備蓄米はJA抜きの入札になりませんかねぇ。
それともアメリカ産の米を輸入しましょうか。
東海道五十三次絵図 16 由比
愚痴を由比だす 薩埵坂
ばからしや 絡んだ口説きも
興津川 こちゃ だまして
寝かして恋の坂
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広重の「名画」と呼ばれる絵が蒲原雪の図、由比の富士と連続します。
現代の東名高速道路でも由比海岸は絶景の一つで、太平洋の大海原と、これから越えていく薩埵峠の急峻な山並みと、そして秀麗な富士山が同時に楽しめます。
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由比本陣
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朝に三島を出立してから由比で5駅、約100kmを歩いてきました。健脚の方でも疲れますね。