33 仏法の嘘 (2020年11月18日)

文聞亭笑一

信長の代名詞に「魔王」があります。「仏敵」とも言われます。その原因は叡山の焼き討ちや、一向宗との戦で残虐な処罰を強行したことにありますが、これは坊主たちの一方的な意見です。

信長と叡山、信長と本願寺は、宗教の本義から外れた経済的利害関係で「寺」と戦国大名が敵対したという構図で、明らかに経済戦争なのです。

宗教問題など欠片もありませんから仏敵という評価は正しくありません。

座 VS 楽市楽座

寺や神社が商工業者を組織した「座」を支配し、「市」を牛耳ってきたのは平安以来の伝統です。

鎌倉幕府も足利幕府も、経済の中心を「米」農業に置いていましたから、政権は一次産品にしか関心が無く、商工業は寺社任せにしていました。

寺社が商工業を支配し、利権化していくための道具が「座・・・組合」です。

あらゆる業界、産品に「座」が結成され、それを特定の神社、寺院と結びつけて利権化していきます。

現代にまで生き延びている家元制度なども「座」の延長線上の利権構造でしょう。

京は大山崎離宮八幡宮の油座・・・この座で働いていた斉藤道三が国盗り物語をしましたよね。

座や市から供給される資金は「みかじめ料」などと云う名前で、寺社や特定の公家に入ります。

みかじめ料などと言えば反社会勢力・ヤクザの資金源のことになりますが、それを堂々と要求していたのが中世の神社・仏閣です。

みかじめ料、つまりは用心棒代ですよね。大きな寺は僧兵を抱えて武力行使をともなう用心棒をしていました。

大きな寺は僧兵集団という武力で商工業者を脅し、寺の傘下で彼らを全国的に組織化し、ネズミ講的な集金ルートを構築して利権をむさぼっていました。

その代表的事例が比叡山で、一万人もいたといわれる僧兵が、無為徒食で優雅な生活を送れていたのは、ふんだんな安定的資金があるからにほかなりません。

比叡山は平安時代から集金ルートを構築していましたね。京・近江の商工業を闇で支配してきました。叡山の僧兵と言うのは、「山口会系暴力団」と何ら変わるところがありません。暴力団が墨衣をまとい、白布で顔を覆って、薙刀を振り回して坊主のなりをしているだけです。宗教団体とは言えません。

多くの作家や歴史家は、信長を魔王にするために叡山の内実を隠してきました。とりわけ明治政府は天皇家の無為無策、指導力の無さを隠すために、叡山を正当化しましたね。

叡山の法主は天皇家の出身者が多く、実態を明らかにしては天皇家に傷がつくと考えたようですが、平安期から暴走を始めた僧兵集団、ヤクザ集団は天皇家の手の届くところにはなかったのです。

その証拠に、源平争乱を演出して清盛や義経、頼朝を手玉にとった後白河法皇ですら「鴨の流れと叡山の法師は…」と嘆かせているのです。

比叡山は伝教大師・最澄以来の古刹です。日本の仏教は高野山を開いた弘法大師と最澄が始祖となり、鎌倉仏教を開祖した法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などに受け継がれていきます。

鎌倉仏教の開祖は、いずれも若い頃には叡山に学んでいます。その意味で、叡山は現代の「東大」と言った位置づけだったと思います。

その東大に巣食うヤクザ集団、僧兵とは何か? 革マルか中核派か知りませんが、東大紛争を引き起こしたインテリヤクザ、暴力団でしょう。

仏法とは全く無縁な体育会系のならず者集団です。叡山だけではありません。

東大寺も然り、興福寺も然り、本願寺に至っては戦国負け組の収容所のような感じで「残党」と言われる人たちが敗者復活戦を目論む温床でもありました。

「座」や「市」が寺社による管理経済から解放されるのは、道三、信長と続く「楽市・楽座」の経済政策からです。

叡山はじめ、経済利権を持つ寺社は信長を嫌います。当然です。とりわけ僧兵や寺に逃げ込んだ残党・用心棒たちにとっては死活問題です。

本願寺の思惑

信長にとって大きな誤算は、本願寺が敵対してきたことでしょう。

本願寺は、新興宗教のために経済的利権をそれほど持っていません。叡山や東大寺、興福寺とは違います。

本願寺は、門徒宗、一向宗とも呼ばれますが、信者に庶民が多く、楽市楽座の恩恵を受けても失うものは少ないはずです。むしろ、商工業者の信徒にとって楽市楽座は市場拡大のチャンスを与えてくれる恩人です。

それが・・・なぜ、信長を敵視し、10年以上に渡る血戦を続けたのか?

この辺りに踏み込んだ歴史論文、歴史小説には・・・まだ巡り合っておりません。

思想信条の自由・・・などという概念はこの時代にはありません。

むしろ自由を放棄し、「南無阿弥陀仏を唱えながら、仏敵に向かえば極楽に行ける」などというまやかしを信じて、多くの信者が犠牲になりました。

「南無阿弥陀仏・・・・突撃」も「天皇陛下万歳・・・突撃」に重なって、悲しくなります。これが宗教の怖さです。イスラム圏での自爆テロは現代でも毎日のように起きています。

政教分離・・・これだけは死守したいですね。

本願寺顕如の政治的野心・・・これがあったかもしれません。当時に「国民投票」と言うシステムがあれば、顕如は大統領か、将軍か、法皇かに当選できた可能性があります。

一向宗は圧倒的人気ですし、尾張、三河では信長や家康の足元を脅かしています。

そして…顕如の妻は将軍義昭の妹です。将軍・義昭を篭絡し、自らの傀儡にして闇将軍、将軍家の黒幕として国政を牛耳ることができます。

それはすなわち、仏教界でも他宗を退けてNo1への道でもあります。

顕如の耳には「信長がバテレンに興味を持っているらしい」という情報も届いていたでしょう。

キリスト教と本願寺派・・・似たところがあります。南無阿弥陀仏とアーメンの違いはありますが、同じ言葉を繰り返すことに依って、参拝者に催眠術をかけてしまうという手法です。

大阪の石山本願寺と堺は近いですから、九州で浸透している耶蘇教は注目だったでしょう。

耶蘇教に信長が加わり、日本化してテコ入れすれば・・・強力な法敵になります。そういう危険な為政者は歓迎できません。

「災いの芽は早く摘め」・・・だったのかもしれません。

本願寺の拠点は大阪も伊勢長島も河口周辺の複雑な水路を利用した天然の要害に建ちます。

難攻不落である上に、本願寺の戦い方はゲリラ戦です。手を焼きますね。