27 畿内制圧 (2020年10月14日)

文聞亭笑一

前回、驚くほどあっさりと上洛してしまいました。無風で近江を通過したような感じですが、北近江を懐柔するために妹を嫁に出し、南近江の六角とは干戈を交えています。

「観音寺城攻防戦」と言われるのがそれですが、光秀がこの戦に参加していたともいわれ、義昭の護衛で戦いに参加しなかったとも言われ、資料が輻輳します。

観音寺城の戦

六角・佐々木が無風で通過させるはずがありません。南北朝以来の近江の名門守護、六角家の意地に賭けても「成り上り者・織田信長」を上洛させるわけにはいかなかったでしょう。

六角家の居城・観音寺城は平野に突如立ち上がったような独立峰で、幾つかの山塊を抱えた天然の城砦です。

琵琶湖岸には、後に信長が安土城を築く安土山があります。それと尾根続きで本拠・観音寺城のある繖山、更に谷を挟んで箕作山には箕作城、そして少し離れて和田山城と、愛知川を外堀代わりにして要塞のような構造をしています。

信長軍が数を頼んで、うかつに観音寺城に攻めかかれば、後ろの和田山城から攻撃され、脇の箕作城から横槍攻撃を受けます。

さらにこの要塞には、後方に長光寺城という抑えの城があります。後に柴田勝家が籠城し、飲み水の甕を割って決死の覚悟を示したというので瓶割山の異名があります。観音寺城の後方にまわりこんだ敵を挟み撃ちにするための城です。

六角軍300人が籠る、この長光寺城の攻撃に任じられたのが明智光秀で、光秀が織田軍として活躍した初陣だという説もあります。

夜間に、敵と同じ300の兵で、手薄な登り口から駆けあがり、敵を追い落として盛大に城を焼き、箕作城や観音寺城に籠る六角方を脅えさせたと言います。

その成果で、六角勢は甲賀を目指して逃げだし、翌朝にはもぬけの殻だったと・・・明智軍記は語ります。光秀の戦果かどうかは別として、織田軍が箕作城攻撃に手こずったことは確かなようです。

義昭 将軍職に

前回の番組では上洛軍は「平服で上洛した」とありました。

織田軍は近江で六角軍と観音寺城で戦っていますし、比叡山の僧兵たちの動向もわかりません。武装解除はできないし、しなかったでしょうね。

義昭一行や、信長など上層部は山科か蹴上あたりで鎧を脱いだでしょうが、とても、とても、武装解除ができる環境ではありません。

とりわけ、当時の鉄砲の保有量は堺を勢力下に抱えた三好方が圧倒的に多いのです。参考までに鉄砲の保有数でいえば、三好よりもさらに多く保有していたのが、紀州の根来衆でした。根来の鉄砲は千丁を越えていたでしょう。

朝廷はいったん義栄に将軍職を宣下していながら、手のひらを返すように義昭に将軍宣下がなされます。近衛前久以下、後付の理屈は縷々述べますが、「長いものに巻かれろ」「勝馬に乗る」が公家衆の生き残り策です。堂々と天下国家を論ずる気概はありません。

彼らが注目していたのは、京の入り口、三条大橋の手前にたむろする織田軍の万余の将兵の軍事力と、朝廷に献上された金銀です。

いつの世でも当たり前ですが、金と力には勝てません。理屈が言えるのは平和な時代です。

畿内制圧

信長は引き連れてきた兵を散会させて畿内の制圧にかかります。

洛南の勝竜寺城から三人衆の一人、岩成友通を追いだし、これを細川藤孝に与えます。

摂津芥川城を落とし、これは和田惟正に与えます。

二人とも将軍・義昭の家臣なのですが、軍事では信長の部下です。軍政における人事権は別物と割り切っていますね。信長らしいところです。

この時期に信長の側にあって相談に乗っていたのが光秀と藤吉郎で、足軽たちの流行り歌に出てきます。

上様の お気に召すもの 一に金柑 二に鼠

金柑は「キンカ頭」といわれた光秀、鼠は「禿げ鼠」と言われた藤吉郎のことです。

近畿のこと、幕府との対応、朝廷との対応、そして民衆への気配りに二人が重用されます。

将軍・義昭

将軍宣下を受けて、義昭は行政機関、内閣(?)を組閣します。

足利幕府の行政機関・内閣は「政所」と言います。そして政所「執事」と言う役職が官房長官のような役割で、行政の要になります。どういう組閣をするのか・・・、いつの時代でも内閣人事でリーダの評価が確定していきます。

義昭は兄の義輝が重用していた摂津晴門を復活させ、登用します。政治には素人の義昭ですから、選んだのは義昭ではなく細川、三淵などの取巻きでしょう。

兄の政治の評判が良かったならそれでよいのですが、義輝の政治は決して褒められたものではありませんでした。町衆の評判の良くありません。それを復活させるのですから…人気は上がりませんね。

室町幕府の政所執事は、代々伊勢家が勤めてきました。官僚のトップです。この時代は伊勢貞孝が14代・義栄の執事を務めていて、こちらの方が町衆には評判が良いのです。

これより前の時代に伊勢家から駿河に派遣され、今川家の重鎮から伊豆の国主になり、更に関東に進出して北条王国を築いた伊勢宗瑞、北条早雲もこの家系です。

行政、とりわけ税制に関してはプロ中のプロですね。大蔵省、いや財務省主計局のトップ・・・そんな役回りです。

今回は政所執事・摂津晴門を片岡鶴太郎が演じるようですね。摂津、信長、光秀・・・それに近衛と細川などが絡んだら、面白い駆け引きの場面になるかもしれません。

ともかく、義昭の最初の躓きは政所人事だったでしょうね。信長の、気に入りません。

松永弾正の降伏

信長上洛の二日後、松永弾正が国宝級茶器・九十九髪茄子茶入れを献上して降伏してきます。

信長の京における陣屋は東寺です。降伏会見は講堂で行われました。二人の会話は

「弾正、この世に神、仏はいると思うか」 数多の仏像を背にして尋ねます。

「おそらく・・・いますまい。いたとしても、人間のことなど興味はござりますまい」

「なぜじゃ」「人間といえども所詮は流転する万物の一つでござる。数多を照らす彼らも、人間などに気を使うほど、暇ではありますまい」

「気に入った。弾正、ぬしに1万の兵を貸し与える。大和一国を平定せよ」

合理主義者二人の会話に、うろたえているのが常識人・光秀です。