13 養子縁組と婚礼

文聞亭笑一

先週の放送では、二階堂さんという怖いお姉さんが出てきて「敗因を述べなさい!」とやっていましたねぇ。

「過ちて改めず、それを過ちという」と、論語を引っ張り出すまでもなく、敗因分析はやっておかなくてはなりません。

「女のくせに…」と仲間内が騒ぐ場面・・・セクハラはいけませんよ・・・という教育的画面だったのでしょうか。放送禁止用語かと思っていたら…堂々と放送していましたね(笑)

その点で四三君は冷静です。敗因を三つ挙げていました。

一つ目は暑さ対策。日射病、熱中症の類をどう克服するかです。日本では、長距離走は冬場のスポーツということになっています。夏は水泳というのが常識でした。

現代でも、マラソンの大きな大会は殆ど冬です。福岡、海の中道を走る朝日マラソン大会も、別府毎日マラソンも冬場ですし、春先の琵琶湖マラソンでマラソンシーズンが終わります。

駅伝も正月が恒例になっていますよね。高温多湿の夏場にマラソンを走るというのは、健康的ではありません。健康のためのスポーツ・・・にはそぐいません。

しかし、オリンピックというのはマラソンだけをするのではありません。むしろ、空調や温水施設のない時代には、夏にしかできないスポーツ、水泳などの競技の都合が優先されました。

四三は暑さへの対策として「走行中の水分補給」を試します。当時は、「体を軽くするためには食事や水分は少なめが良い」とされ、そのような指導がなされていましたが、四三はこの常識に逆らいます。練習中も水分補給を行い、軽食も口にしてみます。その結果、水分を補給する方が、足取りが軽くなることを実感し、永井などの指導を無視して金栗流を貫きます。現代では常識になっている水分補給ですが、指導者の間では「修行中は飲み食いまかりならぬ」的な、宗教的思い込みが強かったようです。

二つ目は外国での食生活です。外国では主食、エネルギー源の「米・ごはん」がありません。

現代は、世界中のどこの国でも日本料理店を探せば米が食えます。寿司屋があります。日本食ブームとかで日本食とは似て非なるものまで現れていますが、米、味噌、醤油は手に入ります。

四三は自らの反省を踏まえ、日常の食生活に「パン」を取り入れました。ごはん抜きで練習に耐えられるか、実験もしています。

敗因の三つめが舗装道路・・・というか石畳の道でした。土の道とは感触が違います。足への負担衝撃が大きくなります。これに対応するために、足袋職人の播磨屋と協力して、マラソン足袋の改良を続けます。ここらあたりも物語の中核になるところですが、播磨屋役のピエール滝が麻薬で挙げられてしまいました。NHKはどうするんでしょうね。

ともかく、シューズというか、マラソン足袋の改良は当面の最大のテーマです。

底を3重にして破れなくしたのが第一号の改良作でしたが、これはストックホルムの石畳で足に強い衝撃が伝わり、疲労蓄積の原因になってしまいました。

そこで考え付いたのが・・・ゴム底です。底にゴムを張りつけます。これでかなりな衝撃を吸収できました。ゴム底の足袋・・・地下足袋に似た代物ですね。

しかし当初の物は底がノッペラボーでしたから、雨では滑ります。

播磨屋はゴム底を彫刻刀で削って凹凸をつけ、現代の運動靴の底に似た文様を工夫します。

次に、コハゼでは留めにくいので、紐で縛ることにしました。これで緩急の縛り方ができます。

さらに、足袋の高さを低くしました。足首まであったものをくるぶしの下まで短くしました。

こうして出来上がっていくのが金栗足袋で、後に世界から驚異の目で見られます。

金栗足袋での成果は

1936年 ベルリンオリンピックで孫基禎の金メダル

1951年 ボストンマラソンで田中選手の優勝

1953年 ボストンマラソンで四三の愛弟子・山田敬三が世界新記録で優勝

・・・と、一世を風靡します。

池部家への養子

四三はストックホルムの雪辱を胸に練習に励みます。次なる目標はベルリンオリンピックです。東京高等師範を卒業するまでは国費での学生生活ですから金の心配はなかったのですが、卒業すると、当然のことながら国費は出ません。

どこかの学校に赴任して教職につくことになります。そうなると・・・学生時代のようにマラソンに熱中しているわけにはいきません。

そんなところに飛び込んできたのが「養子」の話です。

ドラマでは兄の実次が養子、見合いを勝手に決めたように描きますが、実は伯母の池部家から養子縁組の打診があって、卒業後の資金援助の話も来ていました。ですから四三としては養子を承知したうえで、熊本に帰省したのです。

池部家・・・玉名の大地主です。小作人からの上納金で豊かな生活ができていました。

ドラマでは大竹しのぶが伯母・池部幾江の役をします。NHKは息子がいたように描きますが、息子どころか子供ができず、夫も若くして亡くなり未亡人です。

「このままでは池部家が…」と、縁戚で子沢山の金栗家に目をつけ、「四三を養子に・・・」と申し入れます。

兄の実次は「四三の自由を奪いたくない」と拒否しますが、幾江の熱意に折れて、四三を熊本に呼びます。卒業後の進路に困っていた四三には、美味しい話でした。

養子になって、東京で、高等師範の研究科に残り、マラソンの練習が続けられます。

この当時、院という制度はありませんでしたが「大学院」に進学したようなものです。

春野スヤ

今回のストーリでは、四三とスヤは幼馴染で「あいたかばってん あわれんたい」と、恋仲であったように描きます。が、実際は見合いの席が初対面だったようです。

さらに、スヤは池部幾江の息子に嫁いだバツイチとして見合いの席に臨みますが…初婚です。

スヤから見た四三はスーパースターです。東京の高等師範を卒業するエリートです。しかも、オリンピックという世界の檜舞台に、日本人の代表として出場するという英雄、皇子さまです。

そんな憧れの人と見合いをする…と言うだけで「夢か幻か」と…夢見心地だったでしょう。

一方の四三、スヤに一目惚れです。勉強とマラソン漬けで・・・その道には初心ですから、その日のうちにプロポーズの意志表示をします。

スヤも、憧れの人からの申し込みですから 即OK

なんと・・・翌日は婚礼です。なんともはや・・・忙しいですね(笑)

二人のその後は、これからのドラマですが、二人は6人の子をもうけます。仲良しです。