04 吸吸吐吐(スースー ハーハー)

文聞亭笑一

四三が入学した東京師範学校ですが、後の東京教育大学、現在の筑波大学の前身になります。

明治維新の直後から、明治新政府は人材育成に力を入れました。

資源はない、西欧文明の知識はないが、識字率では世界でもトップクラスの人民がいる、この部分「人材」を強化して「追いつけ、追い越せ」が国家的目標になりました。

明治五年には全国に小学校が設立されています。しかし、残念なことに教師がいません。この教師(師範)を育てるためにできた学校が「師範学校」です。

当初は小学校教育を支える教師を育成するのが目的でしたが、明治の途中から小学校教師を育てる役割は「県」に移管されます。

そのため旧・師範学校は中等教育を担う人材を育成する役割になり、東京高等師範学校と改変されています。

この学校の初代校長になったのが元・会津藩士の山川浩です。陸軍少将でもありましたから教育の基本は軍隊式で、全寮制、規律重視です。

現在の学生からすれば「とんでもない」と思うほど自由がありませんが、基本的に授業料や寮費はゼロで、卒業して教師になれば返済の必要もありません。

そういう意味では現在の防衛大学に似ていますね。それもあって、地方から優秀な生徒が集まりました。

山川校長と会津藩「叶の掟」

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ

二、年長者にはお辞儀をしなくてはなりませぬ

三、虚言(うそ)を言うことはなりませぬ

四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ

五、弱いものを虐めてはなりませぬ

六、戸外で物を食べてはなりませぬ

七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことは、ならぬものです

何年前でしたか…幕末の会津藩を主題にした「八重の桜」という大河ドラマがありました。

その時の主人公、八重さんを演じたのが、今回は四三さんの嫁になる役を演じる綾瀬はるかです。

なんとなく…イメージがダブってきてしまいますねぇ。あの時の八重さんはライフルを手に官軍をやっつける、男勝りのスーパー烈女でしたが、今回はどういう役回りでしょうか。

県立師範学校と県民歌「信濃の国」

明治維新では官軍、賊軍に分かれて国民の統合目標が不明確になりましたが、先ずは「天皇」という象徴的権威が確立し、それに続いたのは「学校」だったかもしれません。

寺子屋という私学しかなかった世に、お上の認めた「学校」ができた・・・これは庶民を興奮させました。

「おらが学校」です。その教師養成が地方に分権され、益々燃え上がります。

その燃え上がり方が尋常ではなかったのが教育県といわれた長野県、信濃の国でした。

音楽教育を受け持ったのは女性教員ですが、その女性教員を育成する女子師範学校の教師が、県民を鼓舞し、統合していくための歌を作りました。

それが、時代を越えて県内全域に広がり…、「この歌を歌えないものは長野県民に非ず」というほどに普及しました。

信濃の国(長野県)の地理、歴史、その良さを宣伝するような…コマーシャルソングですね。

1、信濃の国は十州に 境つらぬる国にして 聳える山はいや高く 流れる川はいや遠し

松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平は肥沃の地 

海こそなけれ物沢に 萬足らわぬことぞなき

2、四方に聳ゆる山々は 御嶽 乗鞍 駒ケ岳 浅間はことに活火山 いずれも国の鎮めなり

流れ淀まず行く水は 北に犀川 千曲川 南に木曽川 天竜川これまた国の固めなり

                       6番までありますが省略

嘉納治五郎・校長

柔道の創始者で有名な嘉納治五郎が校長になったのは1890年です。それから30年間にわたって校長を務めていますから、四三が入学した頃は「嘉納イズム」が浸透していた頃でしょう。

嘉納治五郎が校長になってから、軍隊式の規則、教練は減ってきましたが、それでも伝統として引き継がれてきていましたからパワハラ、暴力的指導、虐待の類は日常茶飯事だったでしょう。

嘉納治五郎が政府、軍部を説得して「軍事教練よりもスポーツ」と変換してきた過程で、この種の強制的指導法は減ってはいきますが・・・現代とは比較になりません。

その現代も・・・各種団体で旧時代的慣習から「パワハラ」と言われる事件が相次ぎます。

体育とその指導法に関しては、まだまだ道半ばなのでしょう。

来年の東京オリンピックを控え「メダルのためならエーンヤコラ」的な人権無視の強化訓練が起きるかもしれません。

結果が良ければ…「おめでとう」で済みますが、逆目が出たら悲惨です。

かつて、アトランタの空港で「逆目の悲劇」の女子選手を目にした経験があります。

あの時の女子マラソンでは有森裕子選手が銀メダルを取り、アトランタの夜空に日章旗がはためきました。

が・・・メダル候補として本命視されていたのは別の選手でした。その人は残念乍ら上位には残れませんでした。

たまたま空港で「その選手」と会いました。マスコミの目を避けるように植込みの陰に隠れていました。

その姿が目に焼き付いています。勝者への祝福は簡単ですが、敗者への激励は難しいですね。・・・と逡巡している私をよそに、激励に行ったのは妻でした。

応援、激励は理屈ではありませんね。ハートです。

吸吸吐吐(スースー、ハーハー)

金栗四三のマラソン物語によく出てくる代表的のような言葉に「スースー、ハーハー」があります。

金栗式呼吸法とも言うべきもので、長距離走の選手たちにとって御呪(オマジナイ)のような呼吸法でした。

「吸って 吸って、吐いて 吐いて」を繰り返していくというもので、これを続けることで疲れを感じずに長距離走が可能になる…というものだったのでしょう。

金栗さんはこの他にも幾つもの工夫を凝らしますが、この呼吸法は私の小学生時代まで「極意」として残っていましたね。

小学4年の運動会で初めてマラソンに出た時、叔父から教わりました。確かに…スースーハーハーと、そればかり考えていたら…雑念が消えて、割合良い成績で完走できました。

私にとっては企業秘密のようなもので、その後の運動会、体育祭などでは長距離を得意としましたねぇ。今更ながら・・・金栗さんに感謝です。