01 四三の生家

文聞亭笑一

あけましておめでとうございます。

今週から早速に大河ドラマ「韋駄天」が始まります。どういう場面から始まるか…演出の妙でもあり、今後の視聴率を左右する部分ですから製作者は気を使うでしょうね。

いずれにせよ初回ですから、金栗四三(しそう)さんの幼少期から始まると思います。

熊本県 玉名郡 春富村

出身地は 熊本県 玉名郡 春富村でした。生家には酒蔵などもありますから旧家で資産家でしたね。春富村は、その後の市町村合併で現在は和水(なごみ)町になっています。玉名郡ですから熊本県の北部、有明海、島原湾といった内海に面した菊池平野に注ぐ菊池川の下流域に当たります。和水町から南に少し下がれば、昨年の大河「西郷どん」で、西郷軍と政府軍の激戦地になった「越すに越されぬ」田原坂があります。

この地方は卑弥呼(日御子)の時代には熊襲の本拠地にも比定されたりもしますが、菊池川の上流には菊池市、山鹿市などがあり、鎌倉時代には菊池党が一大勢力を張っていました。南北朝の争いで敗れた足利尊氏がこの地まで逃れてきて、菊池党の支援を得て再起し、京に攻め上り、後醍醐天皇派を排除して北朝・足利幕府を開いたりもしています。菊池川流域は太古の昔から稲作が行われて栄えていた地方のようにも見えます。

ちなみに北側に続く筑肥山地の北側は筑紫の次郎※筑後川が流れ下る筑紫平野になります。

福岡県の大牟田、柳川、久留米などの都市があり、筑後川を越えれば佐賀市、そして吉野ケ里の遺跡へと繋がっていきます。私などは「邪馬台国九州説」を 信奉する方ですから、古代ロマンの魅力あふれる地帯として興味津々でもあります。

時間と金があれば、魏志倭人伝にある水行○〇日、陸行○○日を・・・やってみたいですねぇ。

下の絵は日御子と魏志倭人伝を重ねた想像画です。

※)余談ですが暴れ川には武将のような名前が付けられています。坂東太郎と言われるのが利根川、四国三郎と言われるのが吉野川で、この二つは有名なのですが「次郎はどこだ?」というのがクイズの問題になります。答えは筑後川、筑紫の次郎です。

四三という名前

金栗四三は1891年、8人兄弟の7番目に生まれました。

生まれた時の父親の年齢が43歳だったので、四三と名付けたとも言われます。当時は多産が当たり前の時代でしたから、名前の付け方もいい加減でしたね。

また乳幼児の死亡率が高かったので「適当に」つけておいて、丈夫に育ったら、必要に応じて改名するということも、ままありました。江戸時代は元服して正規の名を付ける、幼名から成人名に替えていましたから、その名残も残っていました。

戸籍に関して余談を言えば、明治期には政府が厳しい指導をしていますね。その代表例が「衛門禁止令」です。

○衛門という名で戸籍登録しようと申し出ても一切受け付けてくれませんでした。また「渡辺促進運動」などという動きもあって、渡邊、渡邉などの苗字はかなり強引に「渡辺」に切り替えさせられたという話もあります。

走れ、走れ

金栗四三の生まれた春富村には学校がなかったようで、小学校まで片道12㎞、中学校まで片道20kmあったと言いますが…小学校までの12kmは眉唾です。現代のマラソンランナーのトップクラスの記録が3分/1kmの猛スピードですが、そのランナーでも・・・12km走るには36分かかります。私が散歩するときの歩行スピードは、スマホの万歩計によれば5km/時です。これで12㎞を歩くと2時間20分ほどかかります。如何に「栴檀は双葉より芳し」といえども小学生の足で毎日12㎞を往復する通学は続けられないでしょう。

私の中学時代の同級生に、3,5kmの山道を毎日上り下りして通学していた男がいました。彼は小学一年生の時からそれを続けていました。私の生まれた村の山奥に美鈴湖というスケートで有名だった湖がありますが、そこが彼の家でした。彼も小学校、中学校を通して確かにマラソンには強かったですが、それにしても、菊池平野は高度差が少ないといっても・・・12㎞は信じられません。往復12㎞ならまだ、理解できますが、それでも遠いですね。

地図上で玉名市と和水町の中心部の距離を測ってみたら直線距離で7kmほどでした。小学校が玉名にあって、片道6㎞、そこまで通った・・・ということではなかったかと思います。

「四三少年は毎日、通学路をひた走った」とあります。

そうでしょうね、道草をしていたら朝は遅刻しそうですし、帰りは暗くなってしまいます。

体力、気力、努力

金栗四三さんが有名なのは「日本人最初のオリンピック選手」ということと、体育教育の先駆者であり、オリンピックの東京招致に努力した人ということでしょうか。

正直に言って、大河ドラマの主人公になるまで名前すら知りませんでした。当然、何をした人かも知りません。駅伝の考案者で、箱根駅伝の創設者だということも、資料を読み漁って知ったことです。くしくも今日、1月2日は箱根に向けて大学生たちがしのぎを削っています。明日は帰路・復路の戦です。我が家の妻などは二日間ともテレビ桟敷に陣取って駅伝競走に見入っていますし、近所の人たちの中には川崎まで出て、沿道で応援する人もいます。私は京都時代に高校駅伝を何度か応援しましたが、どの選手が来たのか確認する間もなく「ぴゅっ」という感じで過ぎてしまいますから、沿道で見るよりはテレビの方が良いですね。

金栗さんの残した言葉は表記の「体力、気力、努力」です。何となく…相撲の「心技体」のようにも見えますが「努力」というところが金栗さんらしいところでしょうか。

熊本人、肥後モッコスといわれる意地っ張り・・・これもスポーツには必要かもしれません。