11 新元号・令和

文聞亭笑一

平成に次ぐ元号に「令和」が選定されました。韋駄天とは全く関係ありませんが…韋駄天の方に書くことがないので「令和」で紙面を埋めます。

菅官房長官が「次の元号は令和です」と発表した刹那に、漢字二文字が全く念頭に浮かんできませんでした。浮かんだのは「レイワ!英字略号はRか」ということくらいです。

そして色紙を掲げた瞬間、NHKの画像は、手話通訳者の映像と色紙がかぶって非常に見にくい構図になりました。これはNHKのドチョンボでしょうね。

政府は「小渕さんが平成を発表した時の形に倣って…」と、事前に発表していますから、菅さんが色紙を右上方に掲げるのは当然の読み筋でしょう。そこに手話通訳の映像を入れておくというのは・・・無神経ですね。

新元号の発表をいち早く・・・と狙っていた割に読みが甘いというのか、検討が甘いというのかNHKスタイルのままにやってしまった失敗作ですね。

手話通訳は1,2秒後に消えましたが、通訳がありませんから聴覚障害の方々には不親切な対応になりました。

ここのところNHKには不信感が募ります。他の民放とは違う「公共放送」の看板がありますから、電波帯域の利用面や、国家予算面の優遇を受けているにもかかわらず、民放と対等な競 争を仕掛けています。

視聴率争いにこだわって、何と自局番組の宣伝の多いことか!

歌会の友人の今月の作品に宣伝が なきと思いて点けている NHKにCMばかり

というのがありました。歌の良し悪しは別にして…歌会への参加者の全員が「そうだよナ~」と嘆息します。公共放送であり、視聴者から受信料をもらっているという自覚も、矜持も ない、只のマスコミ屋、野次馬といった感じがします。

大河ドラマ「いだてん」にしても、来年に控えるオリンピック、パラリンピックを見据えて 、国民的盛り上がりを狙った作品だと思うのですが、ここまでのストーリ展開では、オリンピ ック盛り上げには殆んど役に立っていないのではないかと危惧します。

視聴率の低迷もさることながら「どこかで展開が変わるだろう」と期待している私のような大河ファンにとっても、 我慢の限界に近づきつつあります。

それはさておき、「令和」にはちょっと驚きました。

「次の元号はレイワです」と発表を聞いたとき、とっさに漢字が思い浮かびませんでした。

ラ行は日本語の中では言葉が少ない方ですよね。だから色紙が気になって、それに手話通訳がかぶるのが腹立たしいのです(笑)

「令」の字で、真っ先に思いついたのが「命令」という熟語でした。これは私だけではないようで、妻の第一印象も「命令の令」だったようです。

更に「ニスイを付けたら【冷】だなぁ」などと否定的な印象が湧きました。

事実、「令」が下につく熟語は「いいつける、掟」のイメージが強くなります。

威令、禁令、厳令、辞令、政令、勅令、伝令、発令、布令、命令、律令

その一方で「万葉集からの引用」「初めて漢籍以外からの引用」と聞いて嬉しくもなりました。

万葉集は日本最古の国民歌集であり、国家「君が代」も万葉集の中の一首です。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで

また「令」が上につく熟語は好印象です。「美しい、素晴らしい」の意になります。

令息、令嬢、令夫人、令色、令顔、令人、令徳、令聞、令望 

そうはいっても「令状」となると…警察権力の匂いがしてきますねぇ(笑)

漢字は中国から輸入された文化ですが、日本では日本の風土、心情に合うようにと改変されて使われています。

「峠」などのように日本で作られた漢字?もあります。カタカナも平仮名も漢字の一部を省略したり、崩し字にしたりしたものです。

万葉集も万葉仮名(音だけを借りた当て字)で書かれていますから「令」も「和」もどれだけ意味が込められていたかは後世の解釈次第です。

菅さんの発表が終わった後

「そう言えば…年令の【令】も令の字だなぁ」と気が付きました。

「高令者から赤ん坊まで、国民が世代年令を越えて和する社会」

こんな風に解釈すると別の世界観が広がってきます。

核家族化が行きすぎて、世代間の協調、協働が分断されてしまったのが戦後の昭和から平成で、その過ちを修正する時代・・・とも読めます。

別便の「たわごと&笑詩千万」にも書きましたが昭和から平成にかけて定着した「核家族」はこの国の社会に大変革を起こし、経済発展に大いに寄与してきましたが「社会の幸せ、個々 人の幸せ」という意味ではどうだったでしょうか? 

働き盛りにとっては、自身の可能性を試す意味で大いに貢献したと思いますが、老人、子供 にとっては置き去りにされる姥捨て、子捨ての家族形態ではなかったでしょうか。

親は・・・田舎に置き去りにされました。過疎の村、限界集落が増えています。

都市部でも、かつての新興住宅街が「老人しかいない町」になってしまいました。

子は・・・鍵っ子として置き去りにされます。保育園、放課後教室に捨てられています。

家庭教育などは全く顧みられず、他人任せの教育が主流になり、モンスターペアレントと呼ばれる自 己中人間や、子を虐待する親が増えてきました。

そういう私とて田舎に親を残して都会に出て、子供たちは妻に任せっぱなしにして仕事に邁進してきた企業戦士のなれの果てです。偉そうなことは言えません。

「爺婆が孫を育てる社会、そういう住環境づくり」これが令和・・・年令を越えて和す・・・の時代のテーマかなぁ・・・などと自らの反省を込めて・・・思ったりしています。

明治天皇崩御、大正天皇即位

金栗四三たちはスエーデンでオリンピックに没頭していますが、日本国内では明治天皇が亡くなるという大事件(?)が起きていました。

明治天皇は、現代人の感覚でいえばそれほど高齢ではありません。15歳で即位して、明治年間は45年ですから60歳。

この時代のフツーと言えばそれまでですが、維新から新時代にかけての心労、ストレスを考えれば長生きは無理だったかもしれません。

明治天皇は維新の象徴、近代化の象徴的な役割を担っていましたから国民の哀悼の感情が強く出ます。

オリンピックどころではない…と言った感じで、スポーツ振興を目指す嘉納治五郎や、金栗四三にとっては逆風です。

そういった逆風が吹く中を、一行は神戸港に帰着します。