万札の顔 第31回 おらぁ辞めた

文聞亭笑一

明治5年と言うのは、文明開化が「これでもか」と言うほどに目に見えた年です。

汽笛一声 新橋を はや吾が汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として

陸蒸気・・・と云われた蒸気機関車・弁慶号が品川沖の堤防の上を黒い煙を出しながら走ります。

伊藤博文が大久保の妨害に遭いながらも、執念を以て進めた近代化のシンボルです。

これは当時の人たちにとって革命、改革を象徴する出来事でした。

人を乗せた重い箱を幾つも連ねて機関車が走ります。「馬力」が最大の力と思っていた江戸期の感覚が目の前で覆されます。

黒船が 陸に上がって 陸蒸気 神奈川宿まで早馬の如

庶民は、蒸気機関を代表とする欧米の技術力に仰天します。

伊藤博文が狙った通り、保守的な大久保に対抗する「万博」的効果がありました。

伊藤は大久保に睨まれて大蔵省を首になった後、木戸孝允の後ろ盾で工部省を立ち上げ工部卿(国土交通大臣)になっています。

全国に小学校令が施行され、寺子屋が一斉に「学校」として再スタートを切りました。

藩校と言われていたものは中学や大学となります。いわゆる名門校はこの時にできた学校ですね。

この学校が来年は150周年を迎えます。

各地で記念行事が予定されていますが、コロナが沈静化して、お祭りができたらいいですね。

条約は 結び損なひ 金は捨て 世間に対し(大使) 何をいわくら(岩倉)

これはこの頃はやった戯れ歌ですが、岩倉使節団は修学旅行を続けています。

一方で国内政治は西郷隆盛の指揮下で着々と改革が進められています。

その中核は二つ、大隈―井上―渋沢ラインの大蔵省と、江藤新平の司法省です。

西郷さんは、基本的には江戸期の殿様同様で「よきに計らえ」という人で、仲間や部下を全面的に信頼し、「責任はおいがとる」という無欲、度胸の人でした。

それだけにN02以下にとってやりたい放題ができます。

大蔵省は権限外の「太陽暦への切り替え」まで、やってしまいます。

栄一の屁理屈ですが、「陰暦で来年は一年13か月の閏年である。太陽暦に変更して12か月にすれば、公務員給与の一か月分を節約できる」だから大蔵省の仕事だというのです。

ドサクサ紛れと言えばそれまでですが、明治の改革の多くは目先の対応に追われています。

とりわけ栄一たち、大蔵官僚は「金がない」に苛立ちます。

正義の味方・江藤新平

岩倉・大久保の不在の間、政権の中心はタテマエ上で三条実美が首班なのですが、三条は決心のできない人で、調整役に過ぎません。実質上は西郷隆盛が采配を振るいます。とはいえ、西郷も「Noの言えない男」でしたから法務の江藤と、大藏の大隈が政府を牛耳ります。いずれも佐賀藩、肥前出身で、薩長土肥と維新に遅れて入ってきた肥前派としては、この時期は天下をとった気分でした。 江藤はこの機会に肥前派の勢力拡大を狙います。法務省=警察権と裁判権を握った彼は、薩長の不正を徹底糾弾し、とりわけ大蔵省と兵部省を握る長州派を標的にします。 標的にされた長州派ですが・・・井上馨が「三井の番頭さん」と呼ばれるほど脇の甘い男で、更には陸軍の山県有朋に至っては 「山城屋、おぬしも悪よのぉ」「うしし…、そうおっしゃる兵部卿様こそ」 という関係を、奇兵隊仲間の山城屋和助との間で作りあげ、私腹を肥やしていました。 山県と山城屋は、栄一と喜作の関係にも似ています。 「癒着、汚職、不正をただす」という訴えは、いつの時代でも快く響きます。不平不満分子にとって、これほど正義を感じる事案はありません。江藤は警察権を拡充し、官僚、軍部を取り締まるという方針を主張します。その為には巡査、探偵の増員が必要で、大蔵省に予算要求することになります。それが栄一との対立になります。 正義を重んじる純真な西郷さんは「よか、よか」と江藤を支援します。 そしてのちに・・・根拠不明な西郷さんの征韓論に江藤も同調して、西南戦争へと向かいます。

俺も辞める

江藤の汚職疑惑追及は山城屋を自殺に追い込み、嫌疑不十分ながらも山県有朋を謹慎に追い込みます。

疑惑追及は勢いを増して大蔵省に向かいます。

長州出身の元勲たちは、長州藩でも下士の出身だったためか、金に汚いというか、脇が甘いというか、浪費癖が過ぎるというか…山県に限らず井上も同じでした。

「三井の番頭さん」が井上の仇名です。

そこを・・・江藤が突いて来ます。

この、江藤のやり方を踏襲しているのが現代の野党で、国会を警察の取り調べ室にするといったバカなことを延々と続けています。

モリカケ追及などをいまだに続ける枝野の顔が、江藤新平にかぶってきます。

井上が辞表を叩きつけます。栄一も辞表を出します。

困ったのは三条大臣、この人は政治も人事も外交も、まるでわからない人ですが、ここで井上と渋沢が辞めたら国家の根幹が崩れる・・・そういうことは直感で分かります。

必死で遺留工作をしますが・・・江藤を抑えることはできません。

当時の政界では、三条実美のことを「白豆さん」と読んでいます。

そして白がいたら黒、「黒豆さん」とは岩倉具視のことです。

かつての教科書では太政大臣、右大臣、などと明治維新の推進者のように言いますが、お公家さんは、所詮はお公家さん。安定期の人です。

「辞める」と言えば「辞めるな」と引き止めるのが世の常です。

●「武家の商法」と言う通り、役人上りが商売で成功した試しはない。思いとどまれ。

●お前の発想は政府にあってこそ役に立つ。民に下りてはたわごとに過ぎぬ。

などなど…。

それに対して栄一は

「私は商人になっても不理不法なことはせぬつもりです。私には論語と言う支えがあります。

道徳と経済は一致できるし、また、一致させなくてはならぬと考えています。

それに、個人の事業と言うより、大勢の力を合わせた事業をやってみたい。たとえ利は薄くとも、国家の役に立つ事業を行い、商工業の見本となりたいし、商工業の地位を高めたい」