万札の顔 第17回 兵員五百人

文聞亭笑一

栄一たちは関東で徴募した四十数人を引き連れて上洛します。

「人を集めて来い」と指示した上司の平岡円四郎はいませんが、代わって栄一たちの上司になったのが黒川嘉兵衛です。

この人も平岡同様に直参旗本から一橋への出向藩士です。一橋に来る前は浦賀奉行所の組頭をしていて、密航をしようとして捕まった吉田松陰を訊問したことで有名な人ですね。

安政の大獄の時に、取り調べが手ぬるいと叱られ、一橋藩に左遷されたとも言います。

ともかく、温情的ないい人で、その分だけ「切れ者・円四郎」とは対照的な人物でした。

人物試験

京に戻ってからの栄一たちの仕事は「諸藩との周旋」が主務になります。諸藩の京都留守居役が御機嫌伺や情報収集のために慶喜の元を訪ねてきます。

その「あしらい」が仕事ですから仕事場は祇園、木屋町などの色町になります。

最初は喜作も同席していたのですが、「武張った喜作は旗本が適任」と慶喜の護衛係に回され、周旋の方はもっぱら栄一の仕事になります。

その意味で、黒川は人を見る目があるということにもなります。適材適所に役割を与えていますね。

一方では、栄一や喜作を、そういう重要な役目に回さなくてはならないほど、一橋家は人手不足だったとも言えます。

栄一にしても、喜作にしても、一橋と言う人材不足組織に入ったからこそ、その後の未来が開けたとも言えます。

ある晩、祇園での接待の後で、黒川から「今夜は遅いからここに泊まろう」と誘われます。

酔っていたのと、夜の京都市内は円四郎の災難のように危険でもありますから、受けることにして部屋に案内されると、布団の上で長じゅばん姿の芸子が待っていました。

栄一の回顧録によれば、その日の会合はたまたま「そういう気」にならぬ雰囲気だったので、席をけって帰ったといいます。

すると黒川が追いかけてきて「君はなかなか立派だ」とほめてくれたので、試されていたことを知った・・・と云います。

新門辰五郎

人手不足を解消するために、平岡・黒川のコンビは江戸の火消し「を組」の頭・新門辰五郎を京にまで連れてきています。

辰五郎は江戸の町火消の親分で、大名火消しとの揉め事などで庶民代表として活躍したヤクザの大親分でもあります。

その娘「芳」が慶喜の側室でもあり、京滞在中の慶喜の身の回りの世話をしていたのは、この「芳」でした。

辰五郎は配下の町火消し250人や、任侠道の子分60人を引き連れてきています。蛤御門の変でも、彼らは一橋家の歩兵になったり、本業の火消しをしたりで活躍しています。

今回のドラマで果たして登場するや否や?

人寄せ、人材調達、兵員調達が仕事になる栄一とは、京でも接点があったはずです。

後に、慶喜が逃げだした大阪城から「徳川家・金扇の馬印」を回収し、また、勝海舟と組んで西郷隆盛を相手に「江戸焼き払い」の大芝居を打ちます。

江戸庶民のスーパースターですね。

天狗党始末

栄一たちが辿った同じ中山道を、武田耕雲斎や、藤田小四郎などの水戸天狗党の面々も京を目指して進軍します。

天狗党は、筑波山で蜂起した際に起こした住民に対する乱暴狼藉や、軍資金の名目での資金強奪が目に余りました。

京に上り、水戸藩、更には慶喜に攘夷を嘆願しようと上洛の途に就きますが、幕府から「反乱軍」のレッテルを張られていますから、「討伐」の対象となり、各地で藩兵の抵抗にあうことになります。

栄一の生まれ故郷である岡部藩は、大砲二門を持ちだし、天狗党に砲撃を加えています。

高崎でも激戦がありました。高崎城、高崎藩は、栄一たちが思っていたほど腰抜けではなく、天狗党にも、高崎藩にも、かなりの犠牲が出ます。

さらに進んで、難所・信州の和田峠では諏訪・高島藩と、応援に繰り出した松本藩の抵抗に遭います。

ただ、松本藩にやる気が無く、少人数の諏訪藩だけが相手でしたから突破できました。

その後、木曽から美濃へと出ましたが、関が原には岐阜藩、大垣藩、彦根藩などの大軍勢が待ち構えていると知り、越前へと向かいます。

越前の中小の藩は好意的でしたが、松平春嶽の福井藩と応援に出動した加賀・前田家の大軍に包囲されます。

さらに、慶喜自身が近江まで出陣したと聞き、降伏します。捕虜になっても、慶喜に嘆願すれば何とかなる…と考えたのですが、慶喜は幕府の軍司令官・田沼若年寄に処分を一任して帰京してしまいます。

関東で天狗党に襲われた者たちの報復をする・・・と云う建前で、全員褌一つの裸にされ、825人全員が狭い鰊小屋に放り込まれます。

さらに、主だった者たち、士分の者たち352人は斬罪、残りは島流しになります。

栄一たちのかつての同志・真田何某や、知り合いたちの多くも斬られたうちの一人でしょう。

栄一たちの「尊皇攘夷の青春」は、無残に散っていきました。

兵員調達

京に於ける幕府の総帥・将軍の名代でありながら、慶喜には自前の兵がいません。

各藩の兵員を使って幕府軍を組織するのですが、自前の旗本にすら事欠き、直参旗本や水戸藩からの出向社員ばかりでは伝令にすら事欠きます。

平岡円四郎から「建白屋・・・」という異名をもらった栄一です。

黒川を経由して慶喜に提案していたのが「西日本の一橋領から兵員を調達する人選御用」です。

それと言うのも一橋家の領地は関西以西に8割方(8万石)があります。摂津、和泉、播磨に4割、備中に4割です。

ここから千人の兵を募集しようというのが栄一の提案で、まずは5百人を集めるべく慶喜に直訴します。

摂津、和泉、播磨の代官所は大阪にありますが、代官たちは口を揃えて「先ずは備中で・・・」と逃げを打ちます。要するに「お手並み拝見・・・」とあしらわれました。

備中へ・・・ここからが栄一の知恵の出しどころで、面白い工夫がなされ、体当たり的な説得と、誠意を持った対応が、備中の若者たちに歓迎されていきます。

志願兵が続々と現れ、ブレーキをかけていた代官や名主たちが慌てていく…

この辺りはドラマを見た方が面白そうです。