万札の顔 第23回 情けなき御姿

文聞亭笑一

主役の栄一はヨーロッパにいます。準主役というか、もう一方の主役の徳川慶喜と喜作は維新戦争の坩堝に巻き込まれています。

栄一が、徳川昭武の海外留学に従い、終えて帰国するまで、ヨーロッパと日本国内の、二元放送的物語になりそうです。

パリの栄一、昭武のもとには頻繁に日本での情勢が伝わります。

当時、既に電報の技術ができていましたから、中継を繰り返しながらも、日本の情勢は一週間程度の時間差でヨーロッパに届いていました。

それにひきかえ、京都の出来事が江戸に届くのに3~4日掛かっていた日本の遅れ具合が…腹立たしくもあります。

西郷どんのユッサ(戦)好き

西郷さんは…浴衣姿で犬を連れて、遠くを見つめて立っている上野山の銅像・・・を想像します。

「こげな人、うちの人やない」

銅像の除幕式の当日、西郷夫人は憤然として席を立ち、帰ってしまったといいます。

実際の西郷さんと、上野山の銅像がどう違うのか?想像するしかありません。

3年前の大河ドラマ「西郷どん」では、維新の主役として縦横無尽、八面六臂の活躍を描きましたが、今回は慶喜の敵役、悪役として描かれます。

西郷さんの悪いところ、頑固で、説得力のなさから、すぐに実力行使に走る単純さ、無能さが描かれます。

「どちらが本当の西郷か?」 どちらも本当でしょうね。

思いこんだら命がけ・・・の、宗教的な人で、かつ、情に流される善人だったと思います。

トランプさんとか…もしかすると同類かもしれません。交渉より行動・・・の人です。

益満久之助や浪人を集めた江戸混乱のスパイ工作は、実にえげつない手法でしたね。

盗み、強盗、放火…悪事と言われることの総てを使って、江戸市中を混乱させます。

そして、彼らが破壊工作として何をしたかは、実行者の益満と、その配下のスパイ軍団を上野山の彰義隊との戦闘で、全滅させてしまい、証拠を消しました。

それでも西郷さんの人気が高いのは、大久保や、木戸、板垣といった、その他の元勲よりも、敗者に優しかったからでしょうね。

江戸城の無血開城に合意した田町会談などは、江戸市民から大歓迎を受けました。西郷人気の根源「江戸攻撃中止」の決断にあります。さらに会津征伐でも温情的裁決が目立ちます。

鳥羽伏見の戦

明治維新を巡る戊辰戦争の、始まりが鳥羽伏見の戦、そして終局が函館・五稜郭です。

そして、この一連の戦を戦い抜くのが喜作・渋沢成一郎であり、土方歳三でもあります。

栄一が国内にいたらどうなっていましたかねぇ。少なくとも・・・一万円札の顔になるような働きはしていなかったと思われます。運ですね。

鳥羽伏見の戦は、将軍慶喜の意志ではなく、老中たちの判断で始まりました。

老中たちにとって、「将軍は飾り物」という時代が続いていましたから、将軍に決裁を仰ぐまでもなく、自分たちで政策を決定するのは当然のような雰囲気にありました。

「薩摩征伐」の号令をかけ、御所を守る薩摩軍の排除に向かいます。

こんな行動を慶喜が許すはずがありません。御所に向かって発砲する立場になってしまいます。蛤御門での、長州の二の舞です。

慶喜引退

鳥羽伏見での戦闘は、慶喜にとって青天の霹靂ではなかったでしょうか。

「なぜだー?!」と叫んで政権の座を追われる政治家、経営者は現代にも数多くいますが、鳥羽伏見で戦いが起きた時、慶喜も「なぜだー?!」と叫び、薩摩に錦旗が下賜されるに及んで・・・もう一度「なぜだー?!」となり、「もう、あかん」と覚悟したのでしょう。「や~めた」ですね。

勝ち組の、薩長が書いた歴史では「慶喜、大阪城より蒸気船で逃亡」と書いてあります。

しかし慶喜は政治から引退し、恭順、謹慎と父親・水戸烈公以来の「尊皇」を貫いただけです。

これがまた…、薩長・岩倉に至っては思惑外れでした。「倒幕」を大阪で実現したかったのですが、江戸まで進軍することになってしまいます。そして、東京遷都という思いがけぬ結果を招来してしまいます。

慶喜は大阪城を退去する際に「政界引退」を決意し、以後、謹慎を続けます。

これは薩長や岩倉などの「想定外」の出来事で、後々の徳川処分をやりにくくします。

徳川領400万石を新政府の収入源と考えていたのですが、反抗してこない相手の財産を没収するわけにはいきません。

駿府70万石(駿河一国)を徳川に残さざるを得なくなりました。

情けなき御姿

栄一はパリから結構マメに千代宛の手紙を書いています。先週の放送では、昭武以下の全員が髷を切る場面がありましたが、「髷を切って洋装した姿の写真」を千代宛に送っています。

その写真と一緒に、昭武の髷を切る前の写真を同封したのが間違いで、受け取った千代は「栄一だけがチャラチャラと洋風化している」と理解しました。

「何と情けなき御姿・・・・・・おやめくださりませ」千代から届いた最初の返信は、栄一にとっては想定外でしたね。

自分はヨーロッパ滞在中に近代化しているのですが、日本は、日本の農村は中世のままでした。

情けなき御姿・・・の写真を引用しようと思いましたが、ここにきて管理が厳しくなりました。

肖像権、著作権の商品価値が高まったのでしょう。ご同慶の至りです。

武士と商人

この時期に栄一が最も驚き、感心したことは「平等」という社会の姿でした。士農工商、それ以前からも続く身分制度が、「フランスにはない」と、日常で目にしたことです。

フランス政府が昭武の留学に教師として派遣したのは軍人・大佐です。

そして日常生活の面倒を見たのが銀行家です。この二人が友人として付き合っています。

軍人で大佐・・・上級の武士、直参旗本1000石とりの殿様  銀行家・・・商人、両替商

もっとも・・・栄一が初心なだけで、日本でも悪代官と悪徳商人は親密なお友達でした。

「越後屋、おぬしも悪よのぅ」「うっしっし・・・お代官様こそ」 水戸黄門物語の定番です。