万札の顔 第22回 大政奉還

文聞亭笑一

栄一が徳川秋武に従ってパリ万博に出かけた年は、日本史上でも特筆される事件の多い年でもありました。

全体の流れを俯瞰するために、前後の年を含めて年表風にまとめてみます。

年表

金欠病

薩摩の妨害により、フランス政府からの借款が不調に終わってしまったことは、幕府財政にとって大打撃でした。

・・・が、結果論でいえば日本がフランスによって牛耳られ、国家としての独立性を失う危機が回避できたとも言えます。

更に、戊辰戦争がイギリスとフランスによる日本に対する主導権争いの代理戦争化することも防止できました。

栄一たちの一行は、本国からの金が届かないとなると、経費節減しかすることがありません。

「日本国代表」の見栄も、先立つものなしには成り立ちませんから、欧州修学旅行の随行員は絞らざるを得ません。幕府の役人や、護衛の水戸藩士は半数以下にします。

原市之進の暗殺

慶喜の片腕として、一会桑政権の官房長官とも言うべき役割を担っていた原市之進が、攘夷の狂信者によって暗殺されます。

この時点では薩摩はもとより、攘夷運動の中心であった長州までも開国派に鞍替えしています。

さらに、生理的に外国人を嫌っていた孝明天皇も薨去され、「攘夷」と言う運動自体が過去の遺物になっていたのですが・・・、水戸藩や直参旗本には狂信者が残っていましたね。

水戸烈公、藤田東湖の立ちあげた「尊皇攘夷思想」は既に宗教化して、現実を直視する目を曇らせてしまっていました。宗教的な見方が政治に入り込むと危険度が高まります。

現代の日本とて、「…主義」を信奉する政党や、宗教団体を票田にする政党があります。狂信的になって、暴発だけはしてほしくないですね。

大政奉還

司馬遼太郎の維新物語は、英雄たちが素晴らしい発想をして、それに基づき超人的な活動をし、維新の大展開をなさしめたと書きます。

大河ドラマの維新ものの殆どは、司馬遼太郎作品を原作としますから「英雄伝」となります。

大政奉還・・・自発的政権返上という、世界史に例のない決断、これを誰が発案したのか?

日本人の大多数は、

① ヒントを出したのは勝海舟である

② それを「船中八策」と、形にして提案したのは坂本龍馬である

③ 龍馬の提案を藩主・山内容堂に伝え、徳川慶喜に建白させたのは後藤象二郎である

・・・と思っているのですが、今回のドラマでは…勝海舟との会話からヒントを得た慶喜自身が発案し、討幕派の攻勢に対する切り札として用意していた・・・という観方です。

慶喜は勝海舟を海軍奉行、陸軍奉行として抜擢しています。頻繁に会話があったはずですが、司馬遼作品はそこのところは一切描きません。

むしろ、慶喜と勝は犬猿の仲で会話などなかったという感じで描きます。

「幕府はない方が良い」「衆議による国政に移すべし」「国力を増強して諸外国に対抗すべし」

・・・これらは咸臨丸でアメリカ社会を見てきた勝海舟の基本姿勢でした。

この時の同行者が福沢諭吉であり、小栗上野介です。道は違いますが、「この国の明日」については想いが強い人たちでした。

「攘夷の時代ではない」…慶応年間に入り、政治の中枢にいる者たちには共通認識になっていましたが、そう思っていないのが京の公家たちと一般大衆です。

伊勢神宮の御札が降り、「えじゃないか、えじゃないか」と熱狂が始まります。誰が仕掛けた熱狂か…安保騒動に酷似します。

その後の行動から見て薩摩・西郷吉之助指揮下の破壊組織の仕業でしょう。江戸市中の混乱を意図して、益満久之助に破壊・混乱工作を指示するなど、西郷さんは相当な「ワル」です。

まぁ、「英雄」と言うのは悪党でないとなれません。良い人ではスターになれません。

英雄が歴史を作った・・・と云うのが過去の史観ですが、歴史を作るのは一般大衆です。

そして、一般大衆を動かすのが宣伝です。マスコミです。監視しておかないと暴走します。

事を為すは人にあり 人を動かすは勢いにあり 勢いを作るは、また、人にあり(勝 海舟)

いつの時代も、あらゆる場所で、リーダシップが求められますね。