万札の顔 第27回 八百万神

文聞亭笑一

先週の放送では、栄一の再出発を描きました。父のもとから妻子を引きとり、駿府での企業人としての活躍が始まります。

静岡での自宅を娘のうたは「狭い」と指摘しましたが、それは、それまで栄一が単身赴任していた部屋のことで、代官所の奥の殆どが自宅同様ですから、血洗島の実家よりは広かったと思います。

広いけれど、プライバシーはありません。

幕府は倒産しましたが、駿府藩70万石は、栄一がかつて勘定方を担当した一橋家の10万石より、経済規模が7倍もあります。

しかし、領地…というか、市場が静岡市を中心にまとまっていますから、全国に飛び地が散在していた一橋よりは管理の目が行き届きやすくなります。

手ごろな経済圏なのかもしれませんね。

現代でもテストマーケットとして利用されるのは、東が静岡、西が広島です。

論語と算盤

栄一の後半生は「論語と算盤の合一」ということですが、静岡の商法会所にその原典があります。

先週の放送で「武士は刀を捨て算盤を手に…」「商人は卑屈さを捨てて矜持を持て」と指針を示す場面がありました。

「互いのこだわりを捨てて、互いの良さを出し合おうではないか」と云う方向性です。

武士は論語を教え算盤を習う。商人は算盤を教え論語を学ぶ。こういうWin-Winの関係を会所の中に作りあげます。

そして藩内の大多数を占める農民たちには、米穀の増産は勿論、特産品のお茶の栽培を勧め、養蚕の振興と共に、独自の販売ルートの開拓を進めていきます。

仕入れから営業まで八面六臂、栄一の才能を開花させたのは、静岡時代だったのでしょう。

召集令状

召集令状と言うと、戦時中の赤紙を思い浮かべますが、官からの呼び出し状を「召状」とか、「召集令状」などと呼びます。

多くの場合は「官吏採用通知」のことで、「役人になれ」という、就職内定通知です。これをもらうと・・・普通は喜びます。

家族を静岡に呼んで、ようやく始まった念願の「カンパニー」の仕事と、家族水入らずの生活を乱すように、朝廷からの召集令状が静岡藩を通じて栄一に届きます。

「新政府に出仕せよ」

「冗談じゃねぇ!」栄一は拒否しますが、中老の大久保一翁は

「お前の意志の問題ではない。お前を名指しした・・・朝廷からのお達しが届いたのだ。

要するにお前を差し出せという朝廷のご命令じゃ。拒否したら…先様(慶喜)の謀反になる。

ともかく東京に行ってくれ、わしとて事情が分からぬのだ」

事情は先週の放送の後半でご覧の通りです。大蔵省を預かったものの、何をしたら良いのか皆目わからぬ大隈重信が、相棒の伊藤博文、さらに五代才助を交えて相談している場面がありました。

そこで、フランス時代の栄一の手腕が話題になっていました。フランスでの債券の投資で4万5千両を稼いだ話です。そういう才覚のあるものは、政府にはいないのです。

租税正(そぜいのかみ)に任ず

栄一が上京し、政府に出頭すると「租税正(そぜいのかみ)に任ず」という辞令を渡されます。

租税正とは、今でいう「財務省 主税局長」でしょうか。とんでもない高官です。

当時の内務省・大蔵省のトップは伊達宗城(元宇和島藩主)で、その代理が大隈重信、そして次官が伊藤博文です。

栄一のポストは「その次」ですから、政府としても思いきった抜擢です。

大久保利通など薩摩派は「また幕臣の登用か・・・」と苦い顔をしていたようです。

栄一は「断る」つもりで上京していますが、辞令は「朝旨」つまり天皇の任命の形式を取っています。

突き返したり、破り捨てたりするわけにはいきません。

文句を言っても人事担当の役人は「我々は事務手続きだけ」と、とりあってくれません。

仕方がないので大蔵省に行ってみます。

新参者が、いきなり上司としてやってくる・・・歓迎されるわけがありません。

読者の皆さんも「……長」の肩書を背負って新任地に赴任した経験があると思いますが、概ね冷たい目に晒されます。

「お手並み拝見」ならまだ良い方で、「悪い奴に違いない」という先入観に迎えられることの方が多いですね(笑) 

良い評判より悪い評判の方が伝染力は強くなります。

築地の梁山泊

「責任者を出せ」と言っても誰も取り合ってくれません。

こうなれば、築地本願寺の隣にあるという大蔵大輔・大隈重信の屋敷に乗りこむしかありません。

ここは全国からやってきた癖のある連中が揃い、昼間から酒を食らって喧々諤々の議論をしていると評判の場所でもありました。

大隈と言えば後に早稲田大学を創始しますが、この当時から大学、弁論部的雰囲気の場所を作っていましたね。

早稲田大学の原型が「築地の梁山泊」と呼ばれた大隈屋敷だったようです。

栄一が訪ねると、大隈はすぐに会います。栄一の辞意も報告が入っていました。

出会い頭に「八百万の神達、神計りに計りたまえ」と、祝詞の言葉を投げかけてきます。

新政府の役人は全国から集められた八百万の神だ。君もその一つの神様だ。

知識がないから引き受けないなどと言ったら、政府の役人は一人も残らない。皆、無知識だ。

財政だ、税務だといっても、わかっている者など居らぬ。互いに勉強してこの国の経済の仕組みを作り上げていくしかないのだ。・・・滔滔と「新しい国づくり」の演説が続きます。

話の中で栄一の外遊中に慶喜と面会し「大政奉還」を建白したこと、慶喜を高く評価していることなどを交え、「静岡の小さな池」でなく、日本という大海で泳げと説得します。

栄一の断る理由を次々と潰すようにして大隈の説得が続きます。

とりわけ慶喜を評価し、「慶喜公も君が政府で活躍することを期待しているはずだ」と決めつけられて、逃げ場を失いました。

・・・と云うより、「やってやろう」という高揚感の方が強くなってしまいました。

東京へ

慶喜や大久保一翁、それに商法会所の面々の激励を受けて、栄一は大蔵省に出仕することになりました。

家族も同伴して、湯島の元・旗本屋敷を住居に定めます。静岡での暮らしは会社の一部を借りていたのでプライバシーがなかったのですが、今度は独立した屋敷です。

栄一以上に、千代や歌が喜びました。実家の血洗島も近くなります。