「論語と算盤」逐次解説 第10回 

文聞亭笑一

37、信こそ商いの要諦

人は未来に向けて理想(ビジョン・計画・見通し・・・の意)を持つべきである。

よく考え、情報を精査して事に当たれば過ちは少なくなる。

それにつけても、根底には商業の徳義をおかねばならぬ。最も重要なのは信である。

この「信」の一字が守れなくては、我々実業界の基盤が崩れ去る。

この文節には「戦争」の文字が頻繁に出てきます。1914年、第一次世界大戦が勃発していますね。戦争と言う予期せぬ事態に市場が混乱し、人心も揺れています。

「だからと言って・・・慌てるな」と教訓を語ります。要点は四つです。

① 環境変化が激しくとも、中長期の事業計画、見通しはきちんと立てること

② よくよく考えて作った計画なら、たとえ外れたとしても影響は小さい

③ 非常事態でも商売の基本、徳義を忘れるな、信用第一を貫け。

④ ともかく、世間様の信用なしには商いは成り立たぬ・・・と肝に銘ずることだ。

この時代に、企業の中長期計画に言及しているあたりが渋沢栄一の進歩的なところです。

当時の常識は「来年のことを言うと鬼が笑う」でした。

38、創意工夫で仕事を楽しむ

近ごろ「趣味」という言葉が流行っているが、仕事においても「趣味」の良さを生かすことだ。趣味とはいかがなものか、私も良く分かっていないが、趣味と言うのは「理想」とも聞こえるし、「欲望」とも、あるいは「好みを楽しむ」という意味にも取れる。

いずれにしても、趣味を持って仕事に取り組むとは、色々な知恵や工夫を盛り込むことであるから面白くなり、心が沸き立つに違いあるまい。

孔子の言に「これを知るものはこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とある。「仕事を趣味に」とは仕事を好み、楽しむことであろう。

「趣味」という言葉は意外に新しい言葉だったのですね。大正時代の流行語ですか?!

現代では「好み、楽しみ」の意味が強くなりましたが、当時は物事から感じ取れる「味わい」または、それを感じ取る「能力」の意味が強かったのかもしれません。

いずれにせよ「創意工夫を以て仕事を楽しもう」と提案しているわけで、栄一の前向きな姿勢が鮮明に出ています。大正維新などと言う運動も提案していますし、社会に活力を持たせようという意図がにじみ出た文章だと思います。

「楽しくなくては仕事ではない」社内にこんな標語を作った時期もありました。

私のお世話になった会社は「ベンチャー企業の草分け」と言われていましたから、雰囲気的には栄一が提案している「趣味を持って仕事に取り組む」空気に溢れていました。

ただ、そういう雰囲気に乗って仕事を楽しみ、好み、知った(上達した、成果を上げた)か、それとも「やらされ仕事」と苦しんだかには・・・個人差があります。

39、不易と流行

道徳というものは、科学技術のように進化していくものであろうか。世の中の生き物はダーウィンの言う通り、進化して今日の姿になった。

社会の進化によって役に立たなくなった道徳もある。それに変わるべく提唱される新しい道徳もある。が、その一方で、どんなに社会が進歩しても変わらぬ道理もある。

私が思うにはどんなに知識が進歩しても、論語が有益であるように、大半の道徳は変わらず有用だと考える。

渋沢栄一は「不易と流行」と言う芭蕉が提唱した理念は使いませんが、ここで言っていることは同義です。蕉風俳諧の理念の一つ、不易と流行とは・・・「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しい変化を取り入れていく」と言う意味です。

栄一の言わんとしていることはこれと同じでしょうが、特に論語などを「古い」と切って捨てて、欧米からの入ってきた言葉や思想にかぶれるものが多かったのでしょう。

大正ロマンの時代ですからね。

そう言えば、現代も同じです。小池百合子を宣伝塔にカタカナ党が大流行しています。

しかし日本には日本の良き伝統があります。西洋だけが先進国ではありません。

なまじ英語が得意だからと、国際派を名乗る軽薄者が増えましたね。

それをチヤホヤするマスゴミが、古き良き道徳を壊して再構築しません。壊したら作り直すのが当然の責務です。

壊すだけの人…悪党です。犯罪者です。

40、勝てば官軍

強いものの云い分は常に正義である・・・と云うのは世界の常識だが、これは野蛮の時代の道理であって、文明が進めば人は道理を重んじるようになる。平和を愛する情も増してくる。

一方が下がると、他方が遠慮なく進出する。強い者が我利を押し通す。こういう世界は文明が足らぬのである。

ヨーロッパで、そしてアジア、アフリカの植民地支配をめぐり第一次世界大戦が進行しています。

日本軍も連合国軍として中国・山東半島のドイツ植民地へと出兵しています。

文明が進めば戦争は無くなるという栄一の想いも、その後に日本も主役となって第二次世界大戦を起こしてしまいました。

文明は・・・残念ながら進まず、平和を愛する情も制止能力を果たしませんでした。

栄一が亡くなって90年、ここで栄一が主張していることはすべて否定されました。

道理より、依然として力が支配しています。先日行われたアラスカでの米中会談では、互いに相手を非難し、宣伝合戦の態を示しました。

ロシアも、中東も、我利我利亡者が相争っています。

強い者が我利を押し通す。こういう世界は文明が足らぬのである・・・と栄一は断じますが、百年経っても文明は足りません。

進化していません。「勝てば官軍」の世界の常識は変わりません。

さて・・・この先どうなるのか?

人類共通の敵、コロナウイルスに対してすら、世界の足並みが揃いません。

我利・我利・我利・・・どの国の指導者も「勝つ」ことに執着しています。野蛮人です。