次郎坊伝 49 主役脇役

文聞亭笑一

またまたフライングで、今週の放映予定を先走って書いてしまいました。信長の安土城招待と、本能寺の変、家康主従の伊賀越えの逃避行は今週号で書くべきことでした。

明智光秀が信長暗殺を今川氏真に漏らし、人質まで渡していた・・・大胆な仮説ですねぇ。

明智と今川が、それほど近い関係にあったのか。少々疑問です。むしろ、明智光秀が機密を漏らしたとすれば天皇の側近である近衛前久・前関白で、近衛は諏訪まで戦見物に信長に随行していますが、駿河行きの随行は許されず、追い返されています。

明智と公家、…これは守旧派・天皇将軍制維持派という点では共通の価値観にあります。そうなると足利将軍家に連なる今川氏真はこの一派に組み入れられます。

諏訪で・・・明智光秀は信長から厳しい折檻を受けます。

「武田を倒し、我々の長年の努力が報われた」という光秀に

「貴様がどれほどの努力をしたというのか。この禿げ頭め」と、殴る蹴る、先日の日馬富士、貴の岩事件と同様のリンチをしたといわれています。光秀も諏訪から追い返され、信長の富士山旅行には随行を許されていません。

諏訪からの帰り道、近衛前久と明智光秀が同道、密談したであろうことは、容易に想定できます。勿論、疑い深い信長の目を避けて別の旅団でしょうが、宿場、宿場で密会を繰り返したであろうことは想定できます。そこで何が語られたか? 小説家、脚本家の出番ですねぇ。

信長の天下を最も恐れていたのは近衛を筆頭とする公家衆です。信長は天皇無用論、天皇神主論を公言していましたから、天皇の権威を笠に身を処してきた公家たちは失業してしまいます。芸術のほかに何も力を持ちませんから、権威の座から芸人の地位に落とされてしまいます。

この危機感が、明智光秀を使嗾して信長暗殺計画を推進した・・・と云うのが本筋に想えます。

今週のNHKのサブタイトルは「本能寺が変」です。思わず笑ってしまいました。

歴史的事件は「本能寺の変」です。「の」が「が」に変わると全く・・・意味合いが変わります。

確かに、信長の上洛、本能寺での宿泊とその目的は変です。

いかに治安が安定している京洛の地とて、丸腰でいられるほどの治安状態ではありません。

にもかかわらず、本能寺には警備兵が殆ど詰めていません。せいぜい数百人程度です。二条城に嫡男・信忠の軍勢が控えていますが、こちらも大軍勢ではありません。側近の旗本部隊だけです。この無警戒が・・・第一の「変なところ」です。

次に、本能寺滞在中は、政治・軍事の話抜きに芸術系の話ばかりしています。そういう人たちを呼んで、趣味の世界に耽溺しています。合理主義者、冷酷無比な仕事人である信長らしくありません。「変」です。まぁ、現代になぞらえれば…安倍・トランプの霞が関CCでしょうかねぇ。これは、信長が呼んだのか、それとも近衛前久などが仕掛けた油断、骨抜き、籠絡作戦なのか、ともかく、信長の目をくらます仕掛けのように見えます。これが第二の「変」です。

次に最も「変」なのは、光秀の必死の捜索にもかかわらず、信長の死骸が発見できなかったことです。切腹したのなら焼け焦げた死骸が見つかるはずです。

おそらく、信長は火薬を抱いて自爆したのではないか…? 子供の頃に、近所でダイナマイト心中したカップルの自殺現場を見たことのある文聞亭の推測です。肉片が辺り一面に飛び散り、人の部品の形をした物は殆ど残りませんでしたからねぇ。文聞亭の故郷は信州の温泉場ですから道ならぬ恋に落ちたカップルの心中自殺は幾つもありました。

長谷川秀一

戦国物語では本能寺の前後だけに登場する人物で、脇役です。この人を主人公にする物語は読んだことがありませんが、信長を知る上では外せない人物です。

長谷川秀一は、信長子飼いの戦国武将です。戦闘などでの華々しい活躍はありませんが、常に信長の側近として近くに控えています。そう、家康における井伊万千代に近い存在でしょう。

家康にとっての本多正信、江戸期の将軍御側御用人とまではいきませんが、信長の私事を一手に引き受けています。前回の放送では「安土への呼びだし」の使い番として登場しました。

今回も、家康逃避行の案内人として登場しそうです。

この人…信長の男色のお相手として、若い頃から信長の側近くに控えます。信長のホモの相手といえば森蘭丸が知られていますが、蘭丸の何代か先輩は長谷川秀一なのです。信長の政治、軍事のやり取りはすべて秀一の耳に入っています。信長が苦手な文学、礼式などは代わりに執り行いますし、公家との付き合いも如才なく段取りをします。そう、現代の役職でいえば内閣官房、民間企業なら秘書室長か第一秘書です。

本能寺の変の時、長谷川秀一は家康を堺に案内しての帰りで、大阪にいました。

明智光秀・謀反の報を、備中高松にいる秀吉に真っ先に知らせたのは長谷川です。長谷川からの情報というので、秀吉も、黒田官兵衛も信用し、和睦・退却、弔い合戦へと向かいました。

その後、秀一は堺に引き返し、家康に本能寺の情報を伝え、一緒に逃避行の道案内や、近隣の大名、郷士などへの交渉事も引き受けます。

この動き、手際が良すぎます。あらかじめ予測していないと出来ない鮮やかさです。

勿論、名前の通りの秀才で、だからこそ信長の側近が勤まったのですが、信長、光秀、近衛前久、秀吉、家康のそれぞれの思惑を手玉に取るように胸の内に入れていたのではないでしょうか。

情報を真っ先に伝えたのが秀吉であるところが・・・何となくミステリーを予感させます。

家康を逃がす手伝いをしながら、その後の小牧長久手の戦では秀吉軍として家康と戦います。羽柴秀次に従って中入り作戦、三河攻めに参加し、周りが散々にやられる中を無傷で逃げ帰り、越前に領地をもらって10万石の大名に出世します。最後は朝鮮役で病死しますが…なんとも、波乱万丈な人生です。小説の主人公にしたら面白そうな人物ですねぇ。

彼は何を知っていたのか

誰と組んで、どうしようとしていたのか

そのための駒(光秀、近衛、秀吉、家康、柴田勝家、前田利家、ほか織田の重臣たち)をどう動かすか、彼なりの駒組みがあったのでしょう。自分がトップになる気はなかったでしょうが、参謀、黒幕として、天下を牛耳る野心があったのかもしれません。

今週はドラマの本筋を離れて文聞亭的小説作りの世界にのめり込んでしまいました。

伊賀越えは家康にとっても、徳川家にとっても、最大のピンチです。家康が「切腹する」と叫んだのは生涯に二度ですが、その一回目を叫びます。

二度目ですか? 真田幸村に本陣まで攻め込まれ、逃げ場を失った大阪夏の陣です。