次郎坊伝 22,23 道具の話

文聞亭笑一

時差ボケか…それとも本ボケか、曜日感覚を失っています(笑)

ヨーロッパにいる間、スケジュールを考える場合は「明日」しか念頭になく、ニュースも・・・聞いてもわかりませんから眺めるだけでした。私が訪ねた5日後に、ロンドンブリッジでテロ事件があったというのは、日本に帰ってきて知りました。

「どこかで見た景色だな」と空港のテレビを眺めておりました。

当然、NHKの「直虎」など見ておりません。どこまで進んだのか?

どうやら永禄11年から全く進んでいないようですね。むしろ、時計を逆に回しているようで、この年から3年くらい遡った事件まで画面に出てきそうです。その意味で、今年のドラマは時代小説ですから余計な解説などしない方が良さそうです。「戦国という時代を楽しむ物語」と考えることにします。

ここ数回、盗伐(木材泥棒)の話が出てきます。

私のように山育ちの人間からすると「???」と思う話なので、それなりに調べてみました。

鋸(のこぎり)

現代において、木材の伐採にはその殆どが電動鋸です。実に便利な道具で、年に一二度しか使わないのに我が家にもあります。これがないと…庭木一本始末するのに体中の筋肉が悲鳴を上げますからねぇ。30cm以下に伐らないと清掃局が持っていってくれません。

直虎の時代に鋸がなかったのか?

不思議に思ってネットで調べてみました。当然、ありましたね。この国に鋸が伝わったのは古墳時代です。ただ、鋸の製造には高度な金属加工技術が必要ですから、普及していません。古墳から発掘されるのは刃渡り10cmほどの小型の物で、木を伐るというより、鹿の角など固いものを切るのに使われたのではないかと想像されています。

では、エネルギー源である木材はどうやって伐りだしていたのか。

古代から明治維新まで、日本人のエネルギー源は木材しかありません。多くは倒木、流木だったようですが、それでは到底 需要を賄えません。驚いたことに、江戸期まで鋸は一般に普及していませんでした。木材の伐りだしは斧です。

斧・・・薪割程度でしか使ったことがありませんが、結構、使い方に熟練が要ります。下手をすると大怪我をしますし、固い木には跳ね返されて刃が立ちません。また、戦国時代では貴重品ですから一般人には普及していなかったものと思われます。薪割…などが一般に普及するのは江戸中期だったようです。

ということは…古代の建築はどうやっていたのか?

木材を選びます。斧とクサビだけで加工できる木材と言えば柾目の木でなくてはなりません。そうなると檜、杉などです。日本の木造建築の素材の殆どがこの二種類であったというわけが良く分かりました。鋸がなかったのです。横引き鋸は鎌倉時代に普及しますが、板を作るための縦鋸は・・・江戸期まで一部の宮大工の専売特許のようなものでした。

材木泥棒から林業に

龍運丸という、ならず者集団が登場してきます。

彼らが引き起こす騒動で、ここ二三回のドラマが進展するようですが、彼らはいわゆるマタギ、山の民、樵(きこり)たちでしょうね。縄文文化の伝統を引き継ぐ人たちです。定住することがなく移動しますから、江戸期に入ると、流れ者…などとさげすまれ、差別されますが、彼らがいなければ世界遺産の法隆寺をはじめとして、日本の建築物は存在しえなかったのです。唐招提寺など古代建築は円柱が多いですが、それは加工がしやすいからです。

龍運丸たちは盗伐の罪で追いかけまわされます。なぜ追われたのか?

彼らが伐りだした木材が良質の杉、檜だったからでしょう。杉、檜など、柾目の材木は実に高価です。柾目の材木がなければ「板」が作れません。板は木を斧とクサビで割り、手斧で削って作ります。

ですから松、ケヤキなどは建築材料に使われるのは土台など一部に過ぎません。

龍運丸たちがケヤキやナラなどの燃料用の木材を伐りだしても、それほどの事件にはなりません。

彼らは多分、樹齢数百年の檜の巨木を伐りだしたのでしょう。大木ほど幅の広い板が作れますからね。さらには作業場で、これを板や柱に加工して商品化していたのでしょう。

材木は伐採するのも大変ですが、これを山から曳き下ろすのも大変です。

7年に一度、諏訪大社の御柱祭りがありますが、まさにあれが古代から続く林業の基本スタイルです。切って、枝を払って、適当な長さに裁断して、枝などをコロに敷いて山から曳きだします。一人や二人でできる仕事ではありません。集団作業になります。龍運丸たちが集団で動いているのはそういう理由でしょう。

それと…不思議なのは盗伐現場が見つからないことです。

鋸ではなく斧で伐りますから、当然高い音が出ます。カーン、カーンと、かなり遠くまで聞こえるはずです。それが見つからないというのも変な話で、それほど深い山中であれば、今度は引きだすのが大変です。仮に、深山で作業し川筋に落とし、筏を組んで流すにしても、必ず人目につきます。領主の許しもなしに木材を運搬するなどできる相談ではありません。

ですから木材の伐りだしを領主が知らずにいることはあり得ません。

さらに言えば、伊勢神宮の遷宮に使われる木曽檜、この貴重な材木は幕府が厳重な見張りを設けていますよね。木曽谷を御三家の一つ、尾張藩の直轄領にして管理していました。良質な杉、檜は、米、麦以上に重要な産物なのです。

もしかすると・・・龍運丸たちの集団は鋸を持っていた可能性があります。横引き鋸であれば室町時代に一般にも普及を始めています。横引きの大鋸・・・これがあればかなりの大木も早く伐採でき、加工もしやすくなります。

道具に目が行く辺り…やっぱり技術屋でしょうかね(笑)

しかし、文化は道具の発展と共に花開きます。

槍、刀、鉄砲では世界の先端を言っていた戦国時代ですが、鋸一つとってみただけでも、民生用、工業用の道具は遅れていますね。オランダでは風車が回り、巨大歯車が使われていますが、日本の戦国は歯車とは無縁だったようです。ネジ一つで・・・種子島作りで大騒ぎをしています。

信長による市場開放、楽市楽座は日本の産業革命でもありました。