海人の夢 第32回 素人玄人

文聞亭笑一

NHKドラマでは、伊豆に流された頼朝の青春を追っていますが、政治的には全く無力の存在です。が、その無力さ、無気力さが、清盛をはじめとする平氏を安心させ、警戒を緩める効果を発揮しました。本人は意識していなかったでしょうが、めぐり合わせ、運というものが、人生を左右します。大阪のヤンチャ坊主、橋下徹がスターダムを駆け上がってきているのも、多分に運だと思います。実力に、運が伴わないと、なかなか成功は得られません。ツキが来るまで「待つ」ということも、人生では大事なことですね。

さて、清盛には、その運が満ちてきました。保元平治の乱以来、天皇が次々と早死にします。その都度「政局」がありますから、実力発揮のチャンスが巡ってきます。この時代の実力とは、武力と経済力です。武力ではライバルの源氏を叩き潰しましたからダントツの実力です。経済力でも、地方分権のうねりで、藤原家の収入が半減しているのに反比例して、平家の流通による利益が向上しています。税という財の流れから、商取引による財の流れに変わりつつありました。この時代も地盤、看板、鞄の三つが政治家の政治力でしたが、三要素のどれをとっても藤原家に肉薄してきました。最も不足していたのが看板ですが、その看板を奪い取るチャンスが訪れました。

F67、1165年、平清盛は武士として初めて大納言に上がった。それは前代未聞のことであり、前代未聞のことは、公卿たちの最も忌み嫌うことであった。

前例のないことは、安定した地位にいるものが嫌います。これは現代でも全く同じです。霞ヶ関の上級官僚がそうです。大企業の本社部門がそうです。町内会など地域社会でも、有力者や長老がそうです。学校も、各種団体も…みんなそうです。

当たり前ですよね。冒険を伴うことは危険を伴います。安定した生活を営むものが、敢えてリスクを採るはずがありません。マスコミや野党がいかに騒ごうとも、霞ヶ関は決して革新的なことはしません。改革には「前例」を持ち出して抵抗します。これは企業の本社スタッフも全く同じで、外部からの圧力か、現場からの乱入がないと旧態依然を続けます。民間企業が改革を進めるのは、上記のどちらかで、外圧改革の典型例が日産のゴーン旋風です。現場の乱入とは、人事の大幅異動でスタッフを入れ替えたときですね。これはどこの企業でも良くやる手法です。若手の抜擢などという程度のものではなく、本社管理職の総入れ替えくらいのことをやります。だから民間は革新が進みます。

民主党政権は、この入れ替えが全くできませんでしたね。政治主導といいながら、政治家が不勉強では「前例のカモ」になります。そういう点で、労組出身者の弱点が出ました。労組は、批判精神は旺盛ですが、実務経験に乏しいので、「前例」突破が出来ません。選挙での候補者選びが失敗でしたね。政権をとる布陣ではなかったのです。「政権がとれちゃった。はて、こまったな」という内閣ですから、官僚の壁の前で立ち往生しています。

素人が、玄人にしてやられています。清盛も、似た環境でした。

41、清盛は基実という人物は好きだったが、その弟の基房には、余り好意は持っていなかった。まだ21才ながら、なかなかの野心家で、いずれは自分が藤原家の氏の長者になろうという望みが、宮中での言動にはっきり出ている。普段から平氏を成り上がり者の武士、と軽蔑し、清盛に会っても、頭(ず)の高い挨拶をする。

藤原摂関家は、傍流の者が目立つ地位になるごとに、衰退を繰り返します。保元の乱を起こした頼長がそうでした。そして今度も、基房が清盛と対立します。宮廷での地位と、その権威をひけらかすことで、清盛を支配しようとするのですが、権威だけでは人を動かすことは出来ません。

そのそも、権威とは何かといえば、歴史上の実績に支えられた信用です。そして、その信用の元になるのは血脈と、故事有識です。儀式、礼式などというものが、権威を支える道具ですねぇ。したがって、権威を守るためには、教育と評判作りが大切です。さらに、「権威は有して使わず」が原則なのですが、血脈の点で負い目のある者は、権威をひけらかすという、逆のことをしてしまいます。これで墓穴を掘ります。

現代の政治を見てください。全く同じことをして、権威を失っていきます。

数に頼って、強行採決を繰り返して墓穴を掘ったのが自民党、安倍、福田、麻生でした。

同じように、政権を執ったことに有頂天になって、「コンクリートから人へ」「脱ダム」「少なくとも県外移設」などと叫んで、叫ぶごとに権威を失っていったのが民主党です。決定的だったのは尖閣事件ですね。外交能力ゼロを露呈してしまいました。

今の日本には権威らしいものがありません。それを何とか捏造しようと、マスコミは「専門家」なる言葉を用意して、学者を多用しますが、専門家とは「専門馬鹿」とも言う通り、視野が狭く、応用が利きません。一時は大衆を騙しますが、すぐに馬脚を現します。

不信、不安の雲がこの国を覆います。無党派層とは、マスコミの造語ですが、「誰も信用しない」という国民のメッセージです。この状況を一首、歌にしました。

この国は いずこの岸にか流れ着かむ 不安の海を漂いながら

哀れなのは国民の皆様です。「皆様」などと余計な敬語は要りませんから、しっかりした舵取りをして欲しいですね。その点、野田総理は健闘していると思いますよ。

F68、「基実様のご嫡男基通様は御歳七つにて、摂政及び氏の長者の座は基房様に譲られました。されど藤原摂関家の嫡流はこの基通様。いずれすべてを相続される権をお持ちの方でございます。これを正室の盛子様が治められるのは当然のこと。傍流の基房様も兼実様もお口だし叶いますまい」

清盛は関白忠通から託されて、娘婿の基実を後見します。旧勢力、保守本流を取り込んだところが、民主党政権とは違うところです。その意味で野田総理が財務省を取り込んだのは正解なのですが、鳩、小沢、輿石など、党の重鎮たちが、わかっていませんでしたね。

清盛にとって誤算は、期待していた基実が、早死にしてしまったことです。改革を始めようとしていた矢先だけに、落胆します。が、転んでも只で起きぬ、のが清盛でした。

基実の正室盛子は清盛の娘です。七歳の基通の母です。ここでの相続権の法的根拠を、清盛に囁いた者がいました。母親と幼児だけでは、相続権を奪われかねませんが、清盛が後見人になることで、基房、兼実の動きを封じることが出来ました。

七歳の子が財産管理など出来ませんから、清盛が代理人として管理します。そうなれば、氏の長者となった基房も手出しできません。九州を中心とした藤原家嫡流の領地は、すべて平家の管理に委ねられましたから、九州全域が平家の手に入ったも同然です。この時点で六十余州のうち、二十以上が平氏の支配下になったことになります。武力と金に加えて、人民を手に入れれば、鬼に金棒ですねぇ。ヒト、モノ、カネですよ。

清盛の国土改造計画、いよいよ実行段階に入ります。朝廷の許可があろうが、なかろうが、私財だけでも実行が可能なほどの実力がついてしまいました。「平氏に非ずんば人にあらず」と義弟の時忠が嘯(うそぶ)いたのも、この頃でしょう。

F69、そして僅か百日の後、清盛は太政大臣を辞任した。しかし百日の間に、一門の者たちの地位を上げるだけ上げ、朝廷における平氏の地位を磐石なものにした。

清盛は太政大臣になります。「位人臣を極める」という、朝廷の最高権威です。が、このポスト、何の権限もありません。単なる名誉職です。現代の企業で言えば「代表権のない会長職」や、衆参両院の議長職に当たります。三権の長ですから、総理大臣と同格ですが、国会日程一つ決められません。本会議でも司会者役しか出来ませんよね。

これを仕組んだのが誰か。NHKは後白河という説を採ります。そうかもしれません。

基房などの藤原一族かもしれません。清盛は棚上げされてしまいました。見事な政治的陰謀です。しかし、それでへこたれる清盛ではありません。重盛以下、一族一門の位を、事あるごとに引き上げ、朝議に参加する議員数を増やしてしまいました。当時は多数決ではありませんが、やはり数の力は物を言います。それに加えて、武力、財力の脅しが加わりますから、基房の動きは封じられます。後白河も清盛の意向を無視できません。

そうしておいて、さっさと引退です。引退しても、その影響力にはなんら変わりがありません。太政大臣を引退した後の尊称が「太閤」です。後に、太閤として政治の実権を握ったのが豊臣秀吉ですが、清盛のやり方は十分知っていたでしょうね。今太閤などといわれた田中角栄も重々承知して、キングメーカを続けたのです。その後継者として民主党の太閤を目指したのが小沢一郎でしたが、選挙屋というだけでは誰も信用しません。あの方は、むしろ、後白河ですね。

「♪選挙をせむとて 生まれけむ。政局せむとや 生まれけむ」