敬天愛人 25 生麦事件余波

文聞亭笑一

西郷どんが、南の島で長期リフレッシュ休暇(?)をとっている間にも、尊王、攘夷を標榜する志士たちが次々と都の集まり、不穏な空気に包まれます。

ドラマではそのあたりのこと、時代背景が描き切れていませんので、年表モドキを作ってみました。

西暦 西郷年齢  西郷(薩摩)の動き  日本史 
1853  26    ペリー浦賀に来航 
1854  27  島津斉彬に従い江戸へ  日米和親条約締結 
1855  28  橋本左内、藤田東湖と交友  安政の大地震 
      長崎海軍伝習所設立 
1856   29   篤姫 家定将軍に輿入れ   
1857   30   斉彬に従い帰郷   老中安倍正弘死去 
1858   31   斉彬死去   井伊直弼大老に就任 
    月照と投身自殺を図る     日米修好通商条約調印 
      徳川家定死去、家茂将軍に 
    奄美大島に流罪  安政の大獄始まる 
1859   32   奄美で愛加那と結婚   
1860   33       勝海舟ほか咸臨丸で渡米 
      桜田門外の変、井伊直弼死去 
1861   34   菊次郎生まれる   武市半平太・土佐勤王党結成 
1862   35   旧職復帰、下関から京へ   坂下門外の変 
    久光の逆鱗を買い徳之島へ  皇女和宮降嫁 
    さらに沖永良部島に再遠島     4月 寺田屋事件 
      8月 生麦事件 
1863   36       新撰組結成 
      将軍・家茂上洛 
      長州が馬関にて外国船砲撃 
    鹿児島・英国艦隊に砲撃される    7月 薩英戦争 
      8・18の政変 七卿落ち 
1864   37   帰藩、上洛し軍司令官   神戸に海軍伝習所 
    蛤御門の変で長州を討つ   池田屋事件 
    第一次長州征伐の幕府軍参謀   長州 連合国に完敗 
    3家老の切腹で講和   
1865   38   岩山糸と結婚   坂本龍馬・亀山社中を設立 
1866   39   薩長同盟締結   第二次長州征伐 
    英国公使パークスと親交   
    寅太郎誕生   徳川家茂死去、慶喜将軍に 
       

年表のうち黄色の期間、西郷は全く政治活動ができていません。手紙類による政治参加も、島役人の検閲がありますから限られた範囲でしかできません。

せいぜいが大久保を通しての情報交換でした。寺田屋事件、生麦事件、薩英戦争と言った薩摩藩の重大事件も○○○桟敷です。西郷がこういう事件を知るのは2~3か月遅れでしたね。

生麦事件

勅使の護衛をしながら江戸に向かった島津久光の一行は、殆んどの要求事項を幕府に承知させ、意気揚々と帰路につきます。

西郷は「できるはずがない」と思っていた案件ですが、全てが久光の思い通りに事が運びました。そういう点で、西郷が島暮らしをしている間に世の中が変化してしまっています。

久光の行列は早朝に三田の薩摩藩帝を出発し、品川宿で休憩、そして川崎宿で昼食をとります。さらに進んで生麦の茶屋で休憩し、その日は神奈川宿泊まりの予定でした。事件は休憩を終えて出発した直後に起きます。先頭を進む先払いの前に騎乗した4人の外国人が現れます。

彼らは道端によけますが騎乗したままやり過ごそうとします。薩摩藩士が下馬して道を開けるように注意しますが言葉が通じません。4人のうちの一人は上海から来たばかりで、東洋人を見下していましたから、ぞんざいな態度を示しました。これに薩摩藩士が激高します。

「チェスト!」とばかりに斬りかかり、馬から引きずり下ろします。他の藩士もそれに倣い、斬りかかります。4人のうちの一人は死亡、二人が重傷、一人が軽傷でした。

これは明らかにイギリス人の傲慢さがなせる業です。幕府が許可していたのは港から神奈川宿までの自由散策で、神奈川宿を越えて生麦まで出てきたのは違反行為です。しかも、国内法では「大名行列を妨げるものは斬捨ててよい」と定めてありますから、薩摩の行為は正当防衛に当たります。

にもかかわらず・・・幕府への賠償要求になり、薩摩への報復攻撃に及んだのは「言いがかり」以外の何物でもありません。歴史書では「薩摩が野蛮な行為をした」と書きますが、法律上から言えば、悪いのは国内法を破った英国人4人組で、薩摩は法規通り対処したことになります。

が、既に国際常識で「裁判もせずリンチをするのは悪」となっていたのでしょう。

この事件の後、薩摩藩もさすがにヤバイと感じたらしく、神奈川宿を通り過ぎて保土ヶ谷宿に泊まっています。実際に横浜の居留地ではアメリカ、フランスを加えた海兵たちが出動準備をしていました。そのまま神奈川宿に泊まっていたら、市街戦になっていたかもしれません。

ともかくイギリス側は法外に高額な賠償要求を持ちだします。それも三月前に起きたイギリス大使館襲撃事件と一緒にしての要求になります。

この大使館襲撃事件と言うのは、何年か前に連載した「攘夷でござる」の主人公・信州松本藩士の伊藤軍兵衛の高輪・東禅寺討ち入り事件です。この時は英国代理大使のニールも狙われていますからその怨念もありますね。

幕府は賠償要求に応じますが、薩摩は犯人引き渡しなどの要求を無視し続けます。それが、薩英戦争と呼ばれるイギリス海軍の錦江湾侵入、鹿児島城下砲撃に繋がります。この砲撃が、短期で済んだのは、錦江湾の狭さと、たまたま命中した薩摩の旧式大砲が、英国戦艦の船長と副官を即死させたからでもありました。